日曜メッセージ:「神の武具」エペソ6章10節〜20節

聖書箇所:エペソ6章10節~20節

タイトル:神の武具 

今日はハロウィンですね。最近ハロウィンは世界的に人気のイベントですが、私たちは用心する必要があります。私の子供達はこの教会のプリスクールに通っていますが、金曜日にコスチュームパーティをしました。そこで、Trick-or-treatと言うのではなく、”blessings”(祝福がありますように)と言いながら歩きました。恐れを楽しむのではなく、祝福と愛を分かち合う。

エペソ6章10節「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」パウロにとって今日の箇所はとても重要でした。人は自分の力、自分の能力、自分のアビリティーに頼ってしまう傾向を持っていますが、私たちは主にあって、主の力によって強められなければいけません。サタンは経験豊かな敵です。それも強敵です。サタンは創世記の時代から誘惑と偽りの策略を磨いています。

残念ながら、自分の力だけに頼ってしまうと簡単なターゲットになってしまいます。私たちは全ての権威を持っている方、勝利者であるイエスキリストに目を向けて、キリストの武具を身に着けなければいけません。聖書には悪魔は吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っていると記されています。私たちは常に悪の働き、悪の策略に対して目を覚まして、自分を守らなければいけません。

この箇所の中に何度か「立つ」「堅く立つ」と記されています。今日、私たちが一人一人、神の武具を身に着て「立つ」ことができることができますように。どんな悪の働き、策略、攻撃に直面したとしても、揺るがず、一歩も引かず、自分の立場、自分の信仰、自分の家族、そしてこの教会を守り抜くことができるように。

神の武具の着方:四つのポイントです。1)共に主の武具を身に着ける。2)私たちの本当の敵:悪 3)神の全ての武具を取る。4)祈りは武具を着るための方法。

1)共に主の武具を身に着ける。日本の大きな博物館に行くと、よろいが展示されていますよね。身近なものでは、子供の日に飾る五月人形もよろいを着ています。よろいは昔、戦いの際に体、特に胴や胸の部分を守るために身につけました。日本の当時のよろいにはレベルがあり、体を守るだけでなく、力強さ、美しさも求められたそうです。派手なよろいを着ていると、目立ってしまって、敵にすぐに攻撃されてしまいそうですが、実は戦いの中で活躍した時に、数いる武士の中で誰かわかるように、わざと美しいよろいを着ることもあったようです。

よろいは弥生時代に木製のものから始まり、そこから何段階もの進化を遂げました。戦いに馬を使うようになれば全身をカバーするデザインになり、火縄銃が使われるようになれば、鉄を使って作られるようになりました。そして平和な時代に入ると、実戦よりも見栄え重視になったそうです。よろいは身を守るための最大の防御であり、また権威と、力強さ、美しさを表すものです。

エペソ6章11節「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」古代に使われた、よろいと同じく、キリスト者はよろい、神の武具を身に着ます。敵は悪、サタンです。私たちは、現在交戦状態にあります。戦争と言えば、銃や戦闘機をイメージするかもしれませんが、そういうのはなくても私たちは霊的な戦いの中にいます。キリスト者は自分の心と信仰を守るために、そして世の中の悪を打ち砕くために、神の恵みのゆえに武具を私たち一人一人に与えてくださいました。

私たちは教会として、「神の家族」のテーマを通して、教会の在り方を学んできました。この箇所は個人に向けて話しているように聞こえますが、私たち共同体にも適用します。私たちは教会として、共に神の武具を身に着ます。古代、戦士は自分で武具を縛ることはできませんでした。戦士は人の助けが必要でした。同じように、私たちは互いを励まし合い、祈り合い、神の武具を共に身に着ます。

神の武具はプラスチックで作られたすぐ壊れてしまうような武具ではありません。神が創造された武具は無敵です。どんな武器も突き通すことはできません。。主はご自身は救いをもたらすために神のよろいを着て、来られると記されています。イザヤ59章17節「主は義をよろいのように着て、 救いのかぶとを頭にかぶり、 復讐の衣を身にまとい、 ねたみを外套として身をおおわれた。」主のよろいは壊れることはなく、割れることもありません。キリストが着ている武具と同じものが私たちにも与えられているのです。

そして、日本の伝統的なもののように主の力強さと美しさが表されます。主のよろいは神の栄光を反映し、神の完全な権威を示します。主は勇敢な戦士でもあります。主はどんな敵でも勝利を収めることができます。どんなたくらみであっても、どんな力を持っている敵であっても、主にビクトリーがあります。主は悪を負かすために、人を救うために戦ってくださるお方です。人間の力では不可能であることを主が成し遂げてくださいます。私たちはこのよろい、この武具を身につけます。この武具を着るとどうでしょうか?どんな悪魔の策略に直面しても、大丈夫です。主のよろいは勝利者のよろいです。主のよろいは救いを成し遂げるよろいなのです。

前に、クリスチャンは過去の自分を捨て、新しい自分を着ることを学びました。あなたは過去の生き方、過去の習慣から離れ、キリストにあって新しく作られ、新しい生き方、新しい人生を生きています。それでも毎日自分の弱さや罪に負けてしまうことがあるので、新しく生きることを毎日意識して、意識的に実行しなければいけません。そして同じように、悪は私たちを毎日誘惑し、私たちを過ちの道に導こうとしているので、私たちは、神の全ての武具を身に着ることを意識して、毎日実行しなければいけません。

2)私たちの本当の敵:悪 エペソ6章12節「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」私たちの敵は悪です。私たちの敵はお互いではありません。人が常に互いで戦ったりすると、私たちの実際の敵は、注目されていないことをいいことに、好きに動ける状態になってしまいます。サタンはあなたの失敗、敗北を狙っています。そしてあなたと神の間に立って、あなたを神から引き離したいのです。サタンはあなたのことを一人にし、弱くし、絶望させたいのです。

もちろん、全てを悪魔のせいにすることも避けなければいけません。自分が起こした過ち、自分が起こした罪は自分で責任をとって、神の許しを求めなければいけません。何でもかんでも、「悪魔のせいだ」と言うことはいけません。しかし、誘惑を無視すると

悪魔の働きは偽りと惑わしです。多くの場合、悪魔は目に見えない策略を用いて、人をだましたり、惑わせます。私たちの社会は過去と比べると、文明化し社会が良くなっているから悪というものは消えていると思ったことはあるでしょうか?悪魔はそのような環境の中でも欺きの働きを十分に行います。C.S. ルイスというイギリスの牧師、神学者、そして作家の「悪魔の手紙」という本があります。この本はフィクションですが、老練の悪魔が甥の新米悪魔にキリスト者を誘惑するための具体的指針を手紙で綴る風刺文学です。この本の中にこのように記されています。「罪がどんなに小さくても、その累積的な効果が人を光から遠ざけ、無へと導くものであれば問題はない。。。実際、地獄への最も安全な道は、緩やかな坂道で、足元が柔らかく、急な曲がり角もなく、マイルストーンも標識もない道です。」

クリスチャンであっても、悪の正体がはっきりせず、悪の働きが見えなくなってしまうことがあります。Desensitized、霊的なセンス、霊的な洞察力を無くさないように、悪の働きを識別して、拒否しなければいけません。

悪魔の働きと言えば、私たちの考え方や信仰を誘惑するイメージがあるかもしれません。もう一度「悪魔の手紙」の箇所をシェアします。「面白いことに、人間は私たちが頭の中に何かを入れているようなイメージを持っていますが、実際には、私たちの最高の仕事は、何かを入れないようにすることなのです。」み言葉を入れない。さらに、悪魔は教会の一致をいつも狙います。悪魔は教会が一致していれば、最強であることを知っているからです。

3)神の全ての武具を取る。エペソ6章13節「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。」私たちは神の全ての武具を取ります。武具は欠けている部分はなく、一つ一つの部分がすべて揃っていなければいけません。そしてそれぞれが特別な役割を持っています。攻撃の役割、守備の役割。戦士が盾を持っていなければ、うまく体を守ることができないし、剣を持っていなければ、敵を攻撃することができません。

今日の箇所には6つの武具が記されています。最初に帯です。腰には真理の帯を締めます。帯といえばこの前の東京オリンピックの空手を思い出します。帯は中心にあり、全てを結びつけます。私たちは真理であるキリストをしっかりと腰に締めます。胸には正義の胸当てを着けます。これはキリストの救いによる義であり、あなたは神の者であり、全ての攻撃から守られることを表します。

足には平和の福音の備えをはきます。足の備えはあなたが素早く行動でき、偽り、混乱があるところにも、キリストにある平和をもたらすことができるように。これらすべてに加え、信仰の盾を取ります。悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。盾は守備に使われます。ローマ時代で使われていた盾は皮でカバーさた木の板で造られていたので、水で濡らしておくと、火がついている矢を防御することができます。悪霊の攻撃、誘惑から守るのが信仰の盾です。

そして救いのかぶとをかぶります。かぶとは頭を守ります。神の救いにより、あなたは神の子供になり、神の働き手になりました。そして御霊の剣。これは守備と攻撃の両方に使われる武具です。剣は神のみ言葉です。ふさわしい描写ですね。イエスが40日間荒野でサタンに誘惑されたとき、神のみ言葉を告げました。誘惑を克服するために、そして神の権威を表すために。

4)祈りは武具を着るための方法。エペソ6章18節「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。祈りは武具を着るための方法です。祈ることにより、私たちは目を覚まし、堅く立つことができます。祈りによって私たちは武具を着用し、悪の攻撃から守り、悪の働きを砕きます。

悪が手出しをしない人はいません。イエスでさえも悪魔に攻撃されました。いつどこでどのように悪に攻撃されるか、私たちにはわかりません。だから、私たち一人一人はいつも用心し、危険に備えておく必要があります。