日曜メッセージ:「油を注がれたお方 」イザヤ61章1節〜3節

聖書箇所:イザヤ61章1節~3節

タイトル:油を注がれたお方 The Anointed One 

おはようございます。今日は第四の待降節です。ハンソンご家族が愛の灯火を照らしてくださいました。あっと言う間に、12月20日になりましたね。クリスマスイブ礼拝に参加できる方は、ぜひご参加ください。共に世の救い主を礼拝しましょう。

私と真弓が結婚してから、六回目のクリスマスです。私たちは6月に結婚しました。実は偶然にも、私たちの結婚記念日は端慶覧ケンダルと祐子さんと同じです。6月20日。結婚までのプロセスで、私が一番悩んだこと、難しかったことは婚約でした。真弓と結婚したい気持ちと神の導きは明らかでしたが、婚約というものに、ものすごく大きなプレッシャーを感じました。プロポーズした時、モゴモゴしてしまいました。あの時の事はほとんど覚えていません。何を言ったのか、何が起こったのか、緊張しすぎて、意識を失った感じです。しかし、そのプロポーズの言葉と、妻のYesという返事により、私たちは婚約し、神の御前で、誓約の言葉によって私たちは結婚まで導かれました。

今日の箇所、イザヤ61章に一つのキーワードがあります。それは、「告げる」です。油を注がれたお方は告げます。この箇所に記されている「告げる」は、ただ「言う」ことだけではありません。根拠が無かったり、意味がない発言ではありません。当時、王国を支配する君主が何かを告げると、その言葉は法律と認められました。君主が平和を告げると、戦争は終わります。君主が戦争を告げると、平和は終わります。権威と力を持つ者が何かを宣言すると、それは確実に実行されるのです。

この箇所の中ではどなたが告げているでしょうか?油を注がれた者です。「油をそそぐ」ということはどういう意味なのでしょうか?旧約聖書の時代、イスラエルの王などがその地位に就く時、頭に聖なる油をそそぐことによって王と正式に認められる、という儀式がありました。ダビデも油を注がれ、王様として任命されました。旧約聖書では預言者も、油が注がれていました。同じように聖職者も、神の働きをする人として、油そそぎをして聖別するようにもしていました。油そそぎとは、清める、神に捧げる、神の働きのために聖別するという意味です。

「メシア」という言葉は「油注がれた者」という意味です。そして、イエスキリストのキリストも同じく、油注がれたものと意味します。ベツレヘムでお生まれになったイエスは、イザヤが預言した、人々が長く待ち望んでいたメシアです。その油注がれた者、神ご自身の栄光を反映する神のひとり子、そしてすべての権威と力が授けられたお方。

そのお方が何を告げたのでしょうか?三つのポイントです。1)良い知らせを告げる。2)恵みの年を告げる。3)代わりを告げる。

1)良い知らせを告げる。イザヤ61章1節「神である主の霊がわたしの上にある。 貧しい人に良い知らせを伝えるため、 心の傷ついた者を癒やすため、 主はわたしに油を注ぎ、 わたしを遣わされた。 捕らわれ人には解放を、 囚人には釈放を告げ、」神である主の霊が留まっている、これは神ご自身の知恵と力が注がれたことを表し、その神から油を注がれ、聖別されたお方が良い知らせを告げる。このお方は公正と正義を施す力をお持ちです。そして、神ご自身を権威を反映されています。

この良い知らせは貧しい人に伝えられます。貧しい人、とは金銭的、物質的に苦しんでいる人だけを表しているわけではありません。心の貧しい人、心の苦しみを経験している人も含まれています。イエスは語られました。「心の貧しい者は幸いです。 天の御国はその人たちのものだからです。」

このお方は「良い知らせだよ!」と軽く、言葉だけで伝えたのでしょうか?いいえ、良い知らせには愛がこもった行動が伴っています。良い知らせを告げるお方は、その良い知らせそのものでした。良い知らせが良い知らせを告げた。イエスは天から、快適な場所から降りて、人々の間に住まわれ、私たちと同じような生活をされました。イエスは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられ、ご自分を空しくして、人間の姿、しもべの姿を取られました。

そして彼は、心の傷ついた者を癒すために来られました。この箇所の中で、「癒す」という言葉は傷に包帯するイメージを描きます。イエスは病人や汚らわしいと思われていた人を哀れみました。イエスはあなたのことを心から愛されているので、あなたの傷に、丁寧に包帯して癒してくださいます。どんな傷であっても、イエスに癒すことができない傷はありません。あなたのことを哀れみ、癒しと慰めを注いでくださるのです。

さらに、彼は捕らわれ人と囚人に解放を告げます。心が捕らわれている人、霊的に捕らわれている人、恐怖に捕らわれている人、孤独に捕らわれている人、罪に捕らわれている人に解放と自由を与えてくださいます。何かに、足かせをかけらているように感じている方、イエスは私たちのことを全ての束縛から解放してくださいます。

2)恵みの年を告げる。2020年ももうすぐ終わりますが、今年は良い年だった、恵まれた年だった、と言う方よりも、今年は苦しみと困難の年で、ギリギリ生き延びたと思っている方の方が多いでしょう。しかし、油を注がれたお方は恵みの年を告げられました。イザヤ61章2節「主の恵みの年、 われらの神の復讐の日を告げ、 すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。」イエスの到来のゆえに、恵みの年が訪れた。恵みの年とは、その一年のことだけでなく、長い間という意味です。イエスのご誕生に伴う恵みは一時的ではなく、永遠に定められた恵みなのです。

私たちは苦難を経験します。試みを経験します。しかし、それらは実は一時的です。そして、イエスのご誕生により、主の恵みの年が成立されました。クリスマスは救い主がご誕生されたこと、神の大きな恵みが人々に与えられたことをを思い起こす時であります。どんな一日、どんな一週間、どんな年であっても、イエスによる恵みと愛、イエスによる救いには何も変わりはありません。

2020年を振り返ってみると、たくさんのチャレンジや試みが頭に浮かびますが、神の恵みと忠実性が心に浮かびます。この教会のことを考えると、皆様のことを考えると、私の心は喜びで溢れます。神は大きな恵みを施されました。神は良いお方です。神の恵みに値しない私たちにも、神は豊富な、想像以上の恵みを注がれました。

今年のクリスマス、神の恩寵が一時的ではないことを改めて心に留めましょう。詩篇30篇5節「まことに 御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。 夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。」クリスマスは辛さや苦しみを忘れる時ではありません。クリスマスはその辛さや苦しみの中から、新しい喜びと献身を宣言する時です。

3)代わりを告げる。最後に、油を注がれた者は代わりを告げます。イザヤ61章3節「シオンの嘆き悲しむ者たちに、 灰の代わりに頭の飾りを、 嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を 着けさせるために。 彼らは、義の樫の木、 栄光を現す、主の植木と呼ばれる。」「代わり」という言葉が三回も繰り返されます。 灰の代わりに頭の飾り、嘆きの代わりに喜びの油、憂いの心の代わりに賛美の外套。イザヤは嘆き悲しむ者と祝っている者を描いていますね。悲しみと苦しみが喜びと賛美に変わります。神は良い変化をもたらすお方です。イエスは良い変化をもたらすお方です。

先日、ご葬儀に参加させて頂きました。愛する人を失うということは本当に残念なことです。辛いです、悲しいです。しかし、イエスの力は本当に素晴らしいです。イエスはその辛さや悲しみを、喜びと希望に代えてくださいます。

イエスは私たちの代わりになられました。イエスはご自分の意志により十字架での死刑を受けられ、あなたの罪を代わりに背負って、お亡くなりになりました。あなたが受けるべき報酬を代わりにお受けになり、あなたの代わりにいのちを失われました。イエスは絶望を希望に代えてくださいます。イエスは恐怖を平安に代えてくださいます。イエスは悲しみの代わりに、喜び、弱さの代わりに力を、汚れの代わりに純粋を与えてくださいます。

そして、油注がれた者は義の樫の木、 栄光を現す、主の植木と呼ばれる。樫は立派な木です。材質がかたく木目が美しいので,建築材や船材や家具に用いられます。樫は永続性、豊富、安定を象徴します。イエスの義は、立派な木のように立っています。イエスの支配は永遠であり、変わることはありません。そして、神ご自身の栄光を表します。

マリヤとヨセフの間に生まれたみどりご、ベツレヘムで質素な飼い葉桶に置かれた赤ちゃん、羊飼いと博士たちが目にした小さな幼子は、聖別されたお方であり、神の完全な御栄光を表しました。

イエスが四十日間の悪魔の試みを克服したのち、ご自身の田舎のナザレに行かれた時、人々はイエスの教えを称賛しました。イエスは人々が集まっていた会堂で教え、朗読しようとして立たれた時、預言者イザヤの書の巻物が渡されたので、その書を開いて、一つの箇所をお読みになられました。それが今日の箇所、ルカ4章18節~19節です。「主の霊がわたしの上にある。 貧しい人に良い知らせを伝えるため、 主はわたしに油を注ぎ、 わたしを遣わされた。 捕らわれ人には解放を、 目の見えない人には目の開かれることを告げ、 虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」 そして、イエスは人々に向かって言いました。ルカ4章21節「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」

クリスマスはただのホリデー、祝日ではありません。クリスマスは神ご自身の栄光を表し、油を注がれた方のご誕生を祝い、世の救い主を礼拝する時です。

主イエスは私の救い主とまだ告白されていない方、今日、救いがあります。今日、その決断をするように神から語り掛けられていないでしょうか。誰かと和解をしなければいけないと思う方がいらっしゃいますか?今日、和解しましょう。大きな重荷を負っている方はいらっしゃるでしょうか?すべての重荷を安らかにしてくださる方に今日、委ねましょう。悩みや悲しみを負っている方はいらっしゃるでしょうか?悩みや悲しみを神に今日、委ねましょう。