日曜メッセージ:「御言葉を聞きなさい!」 ルカ8章4節〜15節

タイトル:御言葉を聞きなさい!

聖書箇所:ルカ8章4節~15節

新年、明けましておめでとうございます!先週の礼拝では、鈴木先生が感謝とお証の時間を導いてくださいました。私たちにとって2020年は、本当に辛かった、大変だった年だったと思います。しかし、私は皆様の信仰深さと忍耐を拝見して、励まされました。パンデミックの中、一番霊的に気づいたことは、困難と試みを通して、神にあって成長することができる機会である、ということです。個人的にも、教会にとっても「困難は訓練として耐え忍びなさい」「試みを喜びと思いなさい」という聖書箇所がまさに現実になりました。2021年もチャレンジや困難に立ち向かう年となるかもしれません。

皆様に2021年の年間聖句を紹介します。コロサイ2章6節~7節です。「あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。」あなたはキリストに受け入れられた者、キリスト者としてイエスのうちに留まり、揺るがない御言葉の土台の上にたち、信仰を発揮させましょう。子供が親の服をギュッとつかんで、「行かないで、離れないで」と言いながら引っ張るように、イエスにしっかりとついていき、絶対に離さないようにしましょう。

2021年を迎えるにあたって、日語部の皆様の心に留めて欲しいキーワードは「忍耐」です。忍耐と言えば、精神的、肉体的な忍耐力、または我慢強さというイメージがあるかもしれませんが、聖書的な忍耐とはキリストにある忍耐です。その忍耐力の源は限りなく、どんな疲れでも癒してくださいます。今、皆様にとってどのような忍耐が必要でしょうか?信仰の忍耐。試みに対する忍耐。神の働きに対する忍耐。家族に対する忍耐。仕事に対する忍耐。金銭的な忍耐。弱さを感じる時、どうしたらイエスの力に頼り、忍耐を持つことができるのか?はどうしたら信仰を生かして、エネルギッシュな信仰生活を過ごすことができるのか?

今日から新しいメッセージシリーズを始めます。「聞きなさい!」イエスは人々に神のことを教えるため、よく例え話をされました。例え話だと分かりやすいし、心に入りやすいですよね。イエスは当時の人々の生活や慣習に配慮しながら、例え話を使って、神の奥義を語られました。今日から、ルカに記されているイエスの例え話を通して、神の御言葉と神の教えを聞き、それを心に受け入れ、そしてそれがもたらす変化の必要性を皆様と学びたいと思います。ルカ8章8節「聞く耳のある者は聞きなさい。」私たちは、何を聞いたら良いのでしょうか?

今日の箇所は農業に関係する例え話です。私は植物を育てることはあまり上手ではありません。私のオフェスに小さな植物がありますが、その存在自体をいつも忘れてしまいます。かれそうになる時、事務所でご奉仕をしてくださるUilaniさんという方がいつも水をあげてくれます。私たちが住んでいる家の大家さんは植物を育てるのが好きで、レモン、オレンジ、パイナップル、ローズマリー、ニラなどを育てています。私と妻はバジルやしそに挑戦していますが、中々健康に育ってくれません。植物には、適切な気候と、肥沃な土地、そしてちょうど良い量の水が必要です。

種をまく人が種まきに出かけました。彼がまいた種は四つの場所に落ちます。この例えでは、種は神の御言葉、その種が落ちる場所は人の心を表します。この種は道端、岩、茨、良い地に落ちました。四つの場所を一つ一つ考えたいと思いますが、あなたはどのタイプに当てはまるでしょうか?

最初の種は道端に落ちました。道端に落ちた種は御言葉から取り去ってしまわれる人を表します。道端まかれた種は人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまいました。道端の地面は固いですよね。現代の道路をイメージすると、人や車が通る道、コンクリートで作られた道に植物が生えることはありません。種をとっていく鳥は悪魔を、道端は固くなった心を表しています。具体的にいうと、神の御言葉を聞かない人、心に受け入れない人、神の教えをなんとも思わない人、神の戒めに注意を払わない人、神の御言葉を否定する人たちです。

ルカ8章12節「道端に落ちたものとは、みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう、そのような人たちのことです。」残念ながら、神の御言葉を聞かない人は、サタンの影響を受けやすい状態になり、世の中に左右されやすい状態になってしまいます。自分自身の心が固くならないように、神があなたの心を開いてくださるように祈りましょう。

次に種は岩の上に落ちます。岩の上に落ちた種は水分がなかったので枯れてしまいました。このような種は根を十分に張ることができず、必要な栄養や水分をとることができません。そして、雨が降ると、その種は簡単に流されてしまいます。根が深い植物は大雨でも、台風でも倒れません。反対に、根が浅い植物は少しの雨や風でも負けてしまいます。岩の上に落ちた種は、御言葉を聞いても、試練の時に身を引いてしまう人を表します。ルカ8章13節「岩の上に落ちたものとは、みことばを聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう、そのような人たちのことです。」

御言葉を聞いて、受け入れるのは素晴らしいことですが、そこで終わってしまうといけません。聞いても忘れる。聞いても実践しない。聞いてもなんとも思わない。聞いても心に留めない。これは表面的なレベルだけで御言葉を聞いていることになります。

例えばです。教会に来て、御言葉を聞き、納得し、あ~良かったと思います。しかし、家に帰ったらすぐ忘れて、一週間、その御言葉を開かなかったらどうでしょうか。このような信仰生活を迎えると、試みにあう時、神のことを疑ったり、教会から離れたり、信仰がすぐに負けてしまうでしょう。しかし、信仰の根が深かったら、あなたは揺るぎません。あなたはつまづきません。御言葉を学び、それを熟考し、心に留めることはキリスト者にとって不可欠なことです。

立派なクリスチャンになるためには、神の御言葉が必要です。しかし、その御言葉があなたの前にあるだけではどうしようもありません。その御言葉を聞かなければいけません。開かなければいけません。読まなければいけません。その御言葉を学びなければいけません。あなたの聖書は家でほこりをかぶっていないでしょうか?

あなたの聖書アプリはすぐにアクセスできる場所に保存されているでしょうか?御言葉はクリスチャンにとって絶対に必要な物です。必需品です。体にとっての食べ物や水みたいな物なのです。

次に種は茨の中に落ちます。茨の中に落ちた種は、茨と一緒に生え出て、茨にふさがれてしまいます。雑草は植物の成長を妨げ、枯らします。この種は成長しても、他の植物に覆われ、成長が妨げられる。この種は茨にとらわれるような状態になっています。茨の中に落ちた種は御言葉を聞いても、ふさがれて実が熟しない人を表します。ルカ8章14節「茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。」

御言葉を聞いても、日々の生活の責任や欲望の影響でフォーカスを失い、実は成長することができません。私は中々信仰的に成長することができないと思う方。あなたの成長を妨げる茨、雑草を抜かなければいけません。あなたの心の中にはどのような思い煩いや欲望が共存しているでしょうか?まずは、神への献身を優先しなければいけません。富やお金でしょうか?幸せや快楽でしょうか?快適さでしょうか?罪も雑草のように成長を防げます。2021年、新しい年、すべての罪の重荷を神に委ねて、許しと成長を求めましょう。

最後に、種は良い地に落ちました。良い地に落ちた種は成長して百倍の実を結びました。良い地では、十分な栄養と水分を得ることができるので、スクスクと生長します。何にも妨げられることなく、遠慮なく大きくなります。良い地に落ちる種は御言葉を守り、忍耐して実を結ぶ人を表します。

ルカ8章15節「しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。」良い心とはオープンな心です。良い心は学びたい姿勢、従う姿勢を持つ心です。良い心が御言葉を聞くと、それをしっかり守ります。その御言葉を忘れません。その御言葉の重要性を意識し、心に留めます。良い地の心は感受性が強く、種はすぐに生長できることを知っていて、忠実に育てます。

忍耐という言葉が出てきましたね。私にとって忍耐は2021年のキーワードです。忍耐を持って御言葉を学ぶ、従う、熟考することで実を結びます。忍耐を持って御言葉を守ると、大きな大きな実、霊的祝福を期待することができます。百倍の収益なんて農業でも、投資でも、ビジネスでもありえない額ですよね。しかし、御言葉が熟すとその祝福は豊富であります。

もう一つの視点からこの例え話を考えてみましょう。それは種をまく人です。種をまく人は種をまいても、まいても中々成功していませんね。道端、岩の上、茨の上に落ちた種はすべてなくなってしまいました。自分がまいた種が全然生長しない状態を経験すると、失望しますよね。「もう、だめだ。もう、意味がない」と思ってしまうことがあるかもしれません。くたびれるかもしれません。希望を失うかもしれません。もうやめたいとさえ、思うかもしれません。御言葉を分かち合ってもスルーされてしまう、イエスのことを話すと嫌がられる、教会に招くと断られる。

しかし、やがて種は良い地に落ちます。神の御言葉である種は無くなることはないので、どんどん種をまきましょう。そして、まいた種を優しく、丁寧に育てましょう。小さな種にはホーズで水をやりません。そっと優しく水をあげます。小さな種は励ましの言葉と祈りで育てます。すぐに実を結ぶ種もあるし、長い時間がたってから実を結ぶ種もあります。種がいつ発芽するのか、それは神のタイミングとご計画の中にあります。そして聖霊の導きと力によって実が結ばれます。

その種が生長して、立派な実を結ぶ時、百倍の実を結びます。大勢の御使いたちの前には喜びがあります。ひとりの人が救われ、洗礼を受ける祝福。ひとりの人が勇気を持って信仰によって一歩、歩み出る祝福。もうだめだ、やめたいと思うこともあるでしょう。しかし忍耐を持って、種をまき、神の祝福を期待しましょう。