日曜メッセージ:「私たちの贖い主」 イザヤ59章15節〜21節

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聖書箇所:イザヤ59章15節~21節

タイトル:私たちの贖い主

皆様、おはようございます。あっという間に待降節、アドベントシーズンに入りましたね。アドベントはイエスの降誕した日を期待し、待ち望む時であり、その誕生の重要性を考え、味わう時です。アドベントはラテン語の「アドベンテュス」、到来という意味から来た言葉であり、クリスマスの四週間前から始まります。今日は待降節の第一の日曜日です。そして、今日から新しいアドベントメッセージシリーズ、「喜びへの期待」を始めます。

皆様には、待てないこと、待つのが嫌なことはあるでしょうか?例えば、検査結果を待つこと。バスやタクシーを待つこと。長い間会っていない家族や友人に会う日を待つこと。今はもう誕生日がきてもあまり嬉しくないという方がいらっしゃるかもしれませんが、子供の時は誕生日が来るのが待ちきれなかったですよね。もちろん、クリスマスが来るまで待つこともそうです。

誰にとっても待つことは嬉しいことではありません。しかし待つことは時に、有益なものをもたらします。神はアドベントシーズンの間、イエスの降誕の重要性を考え、味わっている時に、私たちに新しい献身を生み出してくださるでしょう。このアドベントのシーズン、イエスに目を向けて喜び、期待、感謝を持って、私たちにイエスが与えられた日を待ち望みましょう。

クリスマスのことを考えると多くの方は、平安に満ちた飼い葉桶にいる、純粋で可愛い小さな赤ちゃんのイエスを思うでしょう。しかし、今日の箇所、イザヤ59章によるとイエスは少し違ったように記述されています。旧約聖書のイザヤ書の預言を通して、神はどのような救い主を備えていたのか、学びたいと思います。そして、同時に私たちはこの救い主の誕生した日を期待し、待ち望みます。

期待されていた救い主は、勇敢な戦士と贖いの主、と描かれています。四つのポイントです。1)神は世を見て心を痛められた。2)主のよろいを着た方が来られる。 3)世の罪を贖う方が来られる4)神は永遠の契約を結ばれる。

1)神は世を見て心を痛められた。人間は悲惨な出来事に直面すると、その深刻さを頭で完全に理解できないことがあります。私は初めて東日本大震災の被害の跡を見た時、なかなか状況の深刻さを把握することができませんでした。何万人もの命が失われたこと、何万人もの家が流され、住むところがなくなったことを、頭で完全に理解することができませんでした。

人間は世の苦しみのほんの一部しか見ることしかできません。私たちはどれだけ世の中は悪と堕落で満たされているのか、正確に把握することができません。私たちが見ている世の中の問題は氷山の一角でしょう。どれだけの人が苦しんでいるのか、どれだけの不公正が広がっているのか、どれだけ真理が失われているのか、どれだけ悪に染められているのか、私たちは分かっているようで、完全には理解していないのです。

しかし、神はすべてをご存知であり、神にとって不明なことはありません。神はすべての苦しみ、不公平、悪、罪を把握しておられています。イザヤ59章の全体を見ると、人間の悲惨な状況が明確に記されています。私たちの手は血で、 指は咎で汚れている。私たちの唇は偽りを語り、 舌は不正を告げる。義をもって訴える者はなく、 真実をもって弁護する者もいない。 公正は私たちから遠く離れている。義は私たちに届かない。私たちはに背き、主を否んでいる。

神は世の中をどうご覧になられているのでしょうか?イザヤ59章15節~16節。「そこでは真理は失われ、 悪から遠ざかっている者も略奪される。 主はこれを見て、 公正がないことに心を痛められた。主は人がいないのを見て、 とりなす者がいないことに啞然とされた。 それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、 ご自分の義を支えとされた。」主は世の中をご覧になり、心を痛められました。主は私たちの世界、私たちの心を見てぞっとされました。「これは深刻な問題だ、これはいけない」。神は人間を罪から救うために、ご自分の御腕で救いをもたらしました。その救いとはどのようなものだったのでしょうか?

2)主のよろいを着た方が来られる。 私は小さいころ家族と一緒に、長野県にあるちびっこ忍者村に行ったことをよく覚えています。忍者ショーや忍び岩コースがありました。そして、忍者となって「忍術屋敷」へ忍び込み、忍術の秘密を探しながら、待ちうける忍者、鏡の間、修行の間を抜け出口を目指すことができます。忍者だけではなく、侍のよろいをかぶることができました。よろいをかぶると勇敢な戦士になった気がして、自分以上の力が与えられた気分になりますね。

日本の大きな博物館に行くと、よろいが展示されていますよね。身近なものでは、子供の日に飾る五月人形もよろいを着ています。よろいは昔、戦いの際に体、特に胴や胸の部分を守るために身につけました。甲冑は戦場での活躍をアピールするものであり、力強さ、美しさが求められます。日本の当時のよろいにはレベルがあり、力強さ、美しさが求められたそうです。派手なよろいを着ていると、目立ってしまって、敵にすぐに攻撃されてしまいそうですが、実は戦いの中で活躍した時に、数いる武士の中で誰かわかるように、わざと美しいよろいを着ることもあったようです。

よろいは弥生時代に木製のものから始まり、そこから何段階もの進化を遂げました。戦いに馬を使うようになれば全身をカバーするデザインになり、火縄銃が使われるようになれば、鉄を使って作られるようになりました。そして平和な時代に入ると、実戦よりも見栄え重視になったそうです。よろいは身を守るための最大の防御であり、また権威と、力強さ、美しさを表すものです。

主はご自身は救いをもたらすために神のよろいを着て、来られると記されています。イザヤ59章17節「主は義をよろいのように着て、 救いのかぶとを頭にかぶり、 復讐の衣を身にまとい、 ねたみを外套として身をおおわれた。」主のよろいはどんな武器も突き通すことはできません。主のよろいは壊れることはなく、割れることもありません。そして、日本の伝統的なもののように主の力強さと美しさが表されます。主のよろいは神の栄光を反映し、神の完全な権威を示します。

そして、主は勇敢な戦士であると描かれています。主はどんな敵でも勝利を収めることができます。どんなたくらみであっても、どんな力を持っている敵であっても、主にビクトリーがあります。主は不公正を取り去り、悪を負かすために、人を救うために戦ってくださるお方です。人間の力では不可能であることを主が成し遂げてくださいました。

主は勇敢な戦士であるからこそ、人は彼のことを恐れます。かわいい赤ちゃんであるイエスは勇敢な戦士であり、恐るべきお方です。イザヤ59章19節「そうして、西の方ではの御名が、 日の昇る方では主の栄光が恐れられる。 それは、主が激しい流れのように来られ、 その中での息が吹きまくっているからだ。」世界中の人、北の方、南の方、西の方、東の方は彼を見て、ひれ伏します。彼は神ご自身の栄光を表すお方であります。彼は激しい流れのように来られ、彼の計画の中にあるものはすべて成し遂げられます。主が計画されたことを止めることはできません。それは確かに実現されます。

3)世の罪を購う方が来られる。これも、かわいい赤ちゃんには合わない記述ですね。来たる世の救い主は贖い主である。最初のポイントに戻りますが、世の中は堕落状態です。人は罪で満ち、世の中は不公正と悪で満ちています。しかし、世の救い主が贖い主として来られると記されています。イザヤ59章20節「しかし、シオンには贖い主として来る。 ヤコブの中の、背きから立ち返る者のところに。 ──主のことば。」世の救い主は勇敢な戦士であり、人の罪の贖い主である。贖い主であるイエスは私たちのすべての罪と背きを背負い、私たちが受けるべき罰、私たちが受けるべき罪の報酬を代わりに受けてくださいました。

罪を犯す者が責任を取り、罰を受ける。不公正をもたらす者が報酬を払う、それが当たり前です。しかしイエスはすべての人類の罪の代価を代わりに背負ってくださいました。罪から、背きから悔い改め、イエスを求める人には、罪の贖いが成し遂げられるのです。

深く尊敬すべき、恐れるべき勇敢な戦士であり、贖い主であるイエスは私たちに測ることができないほどの愛と恵みを注いでくださったので、私たちは感謝を持って礼拝します。このアドベントシーズンに私たちは新しい献身を持ち、感謝で満ちた礼拝を捧げましょう。

4)神は永遠の契約を結ばれる。イザヤ59章21節 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である──は言われる──。あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、子孫の子孫の口からも、今よりとこしえに離れない──は言われる。」これは簡単にいうと、イエスが私たちのために成し遂げられる契約のことを言っています。そしてそれは、数ある旧約聖書の契約よりも優れている。この契約で、二つのことが約束されています。一つ目は、神の霊があなたから離れないということ。二つ目は、神の言葉はあなたとあなたの子孫から離れないということです。この契約はとこしえまで続き、絶対に変わることはありません。

このイザヤの預言はイエスの誕生により現実になりました。一つ目の約束はイエスが地上におられ、天に召される前、弟子たちに、ご自分の代わりに聖霊が送られることを約束されました。そしてイエスが蘇られて天に昇られた後、その言葉通り、聖霊は弟子たちの上に留まりました。そして、今、同じ聖霊は私たちの内に宿られています。

二つ目の約束は、イエスご自身はことばであると聖書に記されています。イエスは永遠に存在されていることばであり、恵みとまこと、神ご自身の栄光で満ちておられます。最初に世の中の悲惨な状況のことを話しましたが、今、世の中では真理が失われています。しかし、真理を表すイエスは、暗い世の中にまことの光を照らします。