日曜メッセージ:「喜びなさい!」 ピリピ4章4節〜7節
タイトル:「喜びなさい!」
聖書箇所:ピリピ4章4節~7節
旧約聖書のダビデ王は立派な王様でした。彼は勇敢な兵士であ理ました。彼はイスラエル国の繁栄をもたらし、人々を統治しました。旧約聖書のダビデ王は神の箱がついにエルサレムに運ばれた時、ダビデ王は主の前で力の限り跳ね回りました。踊りは王らしさな行動では無いですね。ダビデ王の踊りを見たミカルはダビデ王のことを皮肉を込めて批判しました。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になられた。」しかし、ダビデはミカルに答えました。「私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。」ダビデ王は人にどんな目で見られるか気にせず、すべてを尽くして神のことを礼拝しました。
今日の聖書箇所はピリピ人への手紙4章4節~7節です。この手紙の中には、何回も「喜んでいます」、「喜びなさい」と記されています。クリスチャンの特徴、シンボルは喜びです。喜びはクリスチャンを象徴します。この喜びは、神が変えてくださった私たちの心からわき溢れます。神が私たちを愛してくださり、祝福してくださることを通して、喜びの思いが湧き上がります。ピリピ人への手紙4章4節です。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」喜びなさいという言葉は、文法的には命令形です。パウロは「喜びなさい」、と命令しています。喜ぶことは選択肢ではなく、オプションではなく、絶対に必要なことなのです。
そして、主にあって喜ぶこと。世の中のものは、私たちに不完全な喜びしか与えません。さっきも少し話しましたが、私たちの喜びの源は主です。ではなぜ、私たちは喜ぶことができるのでしょうか?
まず最初に、主が私を救ってくださったから喜ぶことができます。主はあなたのことを罪から、悪から、そして死から救い出してくださいました。かつて、あなたは罪の中で死んでいた者であったと聖書に記されています。そして、この世の流れに左右されていました。しかし、神はご自分の御子をお与えになったほど世を愛され、私たちのことを愛されました。イエスはあなたのために十字架の上に架かり、血潮を流され、あなたの罪を代わりに受け、あなたを清くするために命を捨てられました。そして、イエスの復活のゆえに、私たちは永遠の命が与えられました。私たちを深く愛されている神、私たちの為に苦しみ、命を捧げてくださったイエス。そして与えられた永遠の命。それを考えると心から喜びが溢れます。私たちにとって本当に喜ぶべきことでありますね。
次に、主が私たちと日々共におられるから喜ぶことができます。主は毎日、私たちを祝福してくださっています。主は毎日、私たちを守り、支えててくださっています。主は毎日、私たちを愛してくださっています。主の素晴らしいみわざ 、主の絶えない臨在を考えると、私たちの心は喜びます。私たちの喜びの理由は主です。
主にある喜びは、どんな状況にも関わらず、主がいつもそばにいてくださること、主の臨在があることに確信を持つことから始まります。どんなことがあっても、主は絶対にあなたのことを見捨てません。絶対にあなたのことを忘れません。それは、あなたが主の尊い子供だからです。親が子供を危険から守るため、いつも目を離さないのと同じように、私たちをいつも見ていて、危険から守ってくださいます。
いつも喜ぶ、ということは、状況に関わらず、良いときでも、悪いときでも、変わらず主を喜ぶ。調子が良い時、すべてがうまく行く時に喜ぶことは簡単です。試験に合格したら喜びます。会社で昇進すると喜びます。チェックアップの結果が良かったら、喜びますよね。
喜ぶ機会が与えられたら、心を尽くして主に喜びましょう。心から「神様、ありがとう」と宣言しましょう。誕生日でしょうか?結婚記念日でしょうか?就職が決まりましたでしょうか?病院から退院することができたでしょうか。それとも毎日の小さいことでしょうか。そんな時は天を向いて、何に遠慮することもなく、心から大きく、神に感謝を捧げましょう!そして私たちは、互いを感謝します。愛している人を感謝します。「いつも支えてくれてありがとう」教会の兄弟姉妹を感謝しましょう。「いつも祈ってくれてありがとう」
一方で、状況が悪い時に喜ぶことはどうでしょうか?とても難しいですよね。困難の中にいる時にどうしたら喜ぶことができるのでしょうか?「いつも喜びなさい」と言われても、現実には、いつも喜ぶことはできないと、思われる方がいらっしゃると思います。パンデミックの中、喜べることが何もないと、思う方がいらっしゃるかもしれません。それでも、聖書は「いつも主にあって喜びなさい」と励まします。苦しみの中でも主を喜ぶ。辛い時でも主を喜ぶ。不安な時でも主を喜ぶ。自分の思い通りに事が進み嬉しいときだけ喜んでいないでしょうか?どんな状況でも喜んでいるでしょうか?考えてみましょう。
私たちの喜びは、世の中の喜び、前向きな態度や楽観的な考え方を持つことよりも、深い意味が含まれています。なぜなら、主が喜びの源だからです。ピリピ人への手紙4章5節です。「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。」主は近いのです。主の再臨は近い。主ご自身は近い。クリスマスも近づいています。クリスマスは神ご自身であるイエスのご誕生を祝う時です。イエスはエマニュエル、神は私たちと共におられるお方であります。主は近いのです。
主が近いことを知ると、皆様はどう思われますか?子供はなぜ、親がいなくなると不安になって泣き始めるのでしょうか?親が側にいると、安心で、守られていると感じ、恐れる必要がなかったからですよね。同じように、主が近いことを知ると、私たちはどのような反応をしますか?全知全能なる主が私たちのそばにおられることで、平安、安心、守られていることを実感することができます。
さらに、私たちの主は私たちの小さな願いや祈りを聞いてくだいます。全知全能なる神は、私の小さな声に、耳を傾けてくださいます。ピリピ4章6節「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」世界の創造主である偉大な神が、あなたの願い事を聞いてくださる。なんと嬉しいことでしょうか。
私たちは、悩み多き時代に生きています。今、何に関して心配をしているでしょうか?家族のこと、仕事のこと、お金のこと、身体のこと、心配することが毎日たくさんあります。しかし、心配することに何の益もありません。私たちの毎日にストレスと緊張を引き起こすだけです。その心配を神のみ前に打ち明け、神の備えを信頼しましょう。
主に感謝と喜びを表す。どうやって表したら良いのか、と思われている方がいらっしゃるかもしれません。それにはたくさんの方法があります。言葉で表す。歌で主に喜びを表す。「歌をもって 私は神の御名をほめたたえ 感謝をもって 私は神をあがめます。」「感謝をもって 御前に進み 賛美をもって 主に喜び叫ぼう。」
そして、踊りをを通して喜びを表す。今日、フラを通して、皆が心を一つにし、神へ感謝と喜びを表しました。ダビデ王の例も同じです。
喜ぶと、思い煩いと悩み事が、主の平安と取り替えられます。喜びを持って神に感謝の祈りを捧げると、「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4章7節)
そして喜びはすぐに広まり、人に伝染します。主の喜びが振りまかれ、主を知らない人にも、「あなたはなぜこんなに喜んでいるのですか?」と聞かれるように、主にあって喜びましょう。