日曜メッセージ:「父ちゃん」Daddy
聖書箇所:ローマ8章12節~17節
タイトル:父ちゃん
皆様はお父さんをどんな名前で呼んでいたでしょうか?お父様、お父さん、父さん、父ちゃん、パパでしたか?様々な呼び方がありますね。今日の聖書箇所に出てくる、「アバ、父」という呼び方は、当時、家族の中で使われていた名前で、親密な関係を表す呼び方でした。「アバ」は主に、小さい子供が父親への親しさと尊敬をもって呼びかける時に用いたことばです。日本語で言えば、「父さん、父ちゃん」が近いかもしれませんね。
神を「アバ」と呼ぶ意味を考えてみましょう。神は全知全能なる神であり、すべての創造主です。神の名を口に出すことさえ、違和感を感じる時もあるかもしれませんが、今日の箇所によると、私たちは神のことを「アバ、父」と呼ぶことできると、書いてあります。すなわち、私たちはイエスを通して、神と親密な関係、家族の関係を持つことができるのです。遠く感じる神は父のように近い。
まず最初に、ローマ8章の復習です。私たちはイエスの故に、罪に定められることはありません。私たちは罪人ですが、神は私たちを罪と死から解放されました。私たちは新しく作られた者として、肉に従わず、御霊に従って歩みます。私たちは肉を抑え、御霊の思いを育てます。
そして、イエスの働きの故に、御霊は私たちに授けられ、私たちのうちに宿っておられます。そして、今日、神の御霊により、私たちは神の子供とされ、相続人とされると、記されています。これがどういう意味なのか、皆様と今日、学びたいと思います。二つのポイントです。1)あなたは神の子供とされ認められる。2)神の子供としての祝福
1)あなたは神の子供とされ認められる。当時、ローマ帝国の時代は、アダプション、養子縁組みをする慣習がありました。子供を養子縁組みをすると、その子は家族の一員となり、その家に生まれた子供と同じ権利を持ち、家族の財産を相続することができる特権が与えられました。例えばです。お金持ちの政治家が自分のステータスと財産を受け継ぐ息子がいなければ、彼は男の子を養子縁組みして自分の子供と認め、彼は財産の相続者とされます。
神は同じように、イエスキリスト の故に、あなたを神の子供として養子縁組みをされました。ローマ8章15節「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。」かつて、あなたは神から離れていて、神との関係を持っていませんでした。しかし、イエスの救いのみわざ により、そしてあなたの信仰により、神はあなたをことをご自分の子供として認めてくださいます。だからこそ、私たちは神のことを「アバ」、父ちゃんと呼ぶことができます。私たちはそれほど神と親密な関係を持つことができるのです。
そしてこれは、神を「アバ」と呼べる私たちの特権ですが、私たちは神と直接的な関係を持つことができます。予約をとったり、列に並んだりする必要はありません。神は父なので、いつでもどんな時でも、父に呼びかけることができます。私の子供が夜中に、水を飲みたいとか、トイレに行きたいとか言ったら、私が代わりに水を取りに行ってあげたり、トイレに連れて行ったりします。子供が電話をかけてきて、助けが欲しいというと、話を聞いてあげますよね。
アダプション、養子縁組みというものは日本よりもアメリカの方がポピュラーかもしれません。私の個人的な考え方ですが、養子縁組みよりも犠牲的な愛はないのではないでしょうか。養子縁組みは究極的な愛の行動です。なぜでしょうか?家族というものは基本プライベートなものですよね。基本的な家族の形は血の繋がりです。血縁によって、家族である人、そして家族ではない人は明確に識別されています。誰か知らない人、よそ者を家族の一人として認めることは考えられませんよね。さらに、血が繋がっていない人を財産を分ける遺言に名前を入れることは、絶対に考えられないことですよね。
しかし、神の愛はそうではありません。神は外の人、離れている人、ご自分に対して敵意を持っている人をご自分の家族の一人として歓迎します。そして、その人を相続人として認められます。神はあなたに豊富な愛を表してくださいました。本来なら、神の御怒りを受けるべき人が、神ご自分の愛により、子供と認められるのです。
そしてなんと、神は私たちに同じような愛を他人に表すように、教えられています。外の人を愛するように、離れている人を愛するように。どんな人でも、どんな背景を持っていても、どんな人種の人でも、神の愛を表す。
2)神の子供としての祝福。お父さんという役割を考えると、何を思いますか?助ける、守る、養う、教える、そして愛する…このような事はすべて、父が子供のために与え、子供を祝福するものです。同じように、父なる神は、神の子供である私たちのことを祝福してくださいます。
それは具体的に言うとどのような祝福なのでしょうか?今日の箇所を通して、そのうちの三つの祝福に注目したいと思います。一つ目は恐怖からの解放です。ローマ8章15節の後半です。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。」あなたは恐怖に陥しいれられるのではなく、御霊によっていのちと平安で満たされます。
私にとって、キリストの故に神の子供とされ、神の家族に属しているという真実は特別な意味を持っています。私は親に愛され、家族を大切にするファミリーで育ちましたが、一個人として、いつも他の人と違う、社会的に離れていると感じていました。その一つのストーリーを皆様に分かち合いたいと思います。
以前にもお話ししたことがあるかもしれません。私が育った家の近くに図書館がありました。私は小さい時からよく母と行っていたので、その図書館のことを今でもよく覚えています。ある日、私と母は図書館の前を歩いていました。すると突然、知らないおじさんが、私たちに向かって歩いてきました。その時私は4歳か5歳で、何か聞くために近寄ってきたのかと思いました。しかし、このおじさんは私に唾を吐きました。私はショックで泣き始めて、母はおじさんに怒りました。このおじさんは一体誰だったのか、今でも分かりませんが、私にとって印象的で衝撃的な出来事でした。
私は他にも、人と違った経験をしました。電車や道で侮辱されたり、現地の小学校に通うといじめられたり、喧嘩もよくしました。そして、このような経験を通して、私は一体どこに属するのか、アメリカ人の父と日本人の母の子供として、社会的に、文化的にどこに当てはまるのか、いつも悩んでいました。孤独でした。寂しかったですね。家族がいて一人ではなかったのですが、一人でした。
そして、神は私のことを教会に導いてくださいました。私はクリスチャンになって神の家族、教会に属するようになり、人生が変わりました。私は小さい時から、どこに属することができるのか、悩んでいましたが、神の子供、教会の家族の一員になり、天国の国籍を与えられたことで、恐怖から、憎しみから、孤独感から解放されました。神の子供として認められると、このようなものから魂と心を自由にしてくださります。
二つ目の祝福は、私たちが受け取ることができる霊的な財産です。ローマ8章17節「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」あなたは神の子供であり神の相続人です。キリスト者として、イエスに従って、御霊によって歩む人は栄光を受けます。この祝福は将来、授けられるものです。イエスを信じるものは、永遠のいのちが与えられ、義の冠が授けられます。イエスを信じるものは神の御栄光とご臨在の中に立つことができます。この約束、そして将来あなたが相続する祝福は決して変わりません。第一ペテロ1章3節「 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」神は私たちに、絶対に変わらない財産を与えてくださり、備えてくださっています。私たちは神の相続人として、希望と喜びを持って受け継ぐ日を待っているのです。