日曜メッセージ:「聖霊のとりなし」The Spirit's Intercession

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タイトル:聖霊のとりなし

聖書箇所:ローマ8章26節~27節

皆様、おはようございます。

先週の土曜日、私の家族はホノルルの動物園に行きました。お昼の時間だったので、お弁当を近くのお店でピックアップすることにし、私は車を止めて、お店の中に入りました。そしてふと、窓の外を見ると、他の車がバックして、私の車にぶつかりました。私はお店から急いで出ました。私の妻と子供たちは車の中にいましたけれども、怪我もなく大丈夫でしたが、私はショックの状態だったので、手が震えたり、心臓がドキドキしました。他の車の運転手と割と冷静に話し、必要な情報を交換することができましたが、それに集中しなければいけませんでした。

何かがあって言葉が出なかった経験はあるでしょうか?例えば、人前で話すことが苦手で、人の前に立つと言葉が出なくなってしまう。ショックを受けて、言葉が自然に出てこなくなってしまう。若い人だったら好きな人の前で恥ずかしくなってしまい、話すことができなくなる。私と妻の一番最初のデートを今でもよく覚えています。三ノ宮という駅で待ち合わせをして、近くにあるイタリアンのレストランに行きました。私は結構緊張していたので、あまり話すことができませんでした。妻は私があまり話さなかったので、楽しくないのかな?と思ったそうです。

今日のメッセージは祈ることが難しい方のため、祈ることに違和感を感じる方のため、祈ることに中々慣れない方のため、祈りに満ちた信仰生活を迎えたい方のためです。今日の聖書箇所は励ましと力につながる御言葉です。

三つのポイントです。1)どう祈ったら良いのかわからなくても大丈夫。2)あなたは祈る時、一人ではない。3)神の御心に従って祈る

1)どう祈ったら良いかわからなくても大丈夫。祈ろうとしても言葉が出なかった経験をされたことはあるでしょうか?何のために祈ったら良いのかわからなくなる時はあるでしょうか?祈りたいけど、なかなか祈る姿勢になることができない時はあるでしょうか?そうであっても大丈夫です。

私たちの神は私たちの父であり、「アバ、父ちゃん」であります。父なる神は祈り方よりも、心の言葉を求めます。私たちには祈りの始め方「父なる神様。。。」、祈りの終わり方「主イエスの御名によって祈ります。アーメン」が決まっていて、それは悪いことではありませんが、神は何よりも私たちの心から言葉を求められています。神が求めておられる祈りは複雑な祈りではありません。大きな神学的な言葉をたくさん使った祈りでもありません。

聖書学び会で新しいテーマが始まりました。「祈りとは?祈りの目的と実践」です。前回の学び会で勉強しましたが、祈りを一言でいうと、「祈りは神との対話」です。祈りを通して、神との関係を築き、保ちます。神の恵みによる主イエスの購いによって、救われた者には神の子としての特権が与えられ、神を父と呼ぶことが許される。父なる神は愛を持って一人一人を御前に喜んで迎えてくださいます。神はあなたの父なので、あなたは神の御前に出て、お父さんに願い事、悩み事などを述べることができるのです。そして、神が求めておられる祈り、真の祈りは神の御前における崇高な営みである故に、形式的ではなく霊的であり、決して自分の敬虔さを誇示するものであってはいけません。

例えばです。ある人は1時間かけて祈りますが、心が一切こもっていません。もう一人は一言、心から「神様、助けてください!」と祈ります。神はどちらの祈りを喜ばれるでしょうか?そう、心からの祈りです。神は小さな祈りでも嬉しく思われます。そして、祈り方がわからないという方、大丈夫です。神は対話を求めているので、ありのままに神に願いを述べ、感謝をし、助けを求め、気持ちを表すだけで良いのです。神はその祈りを聞いてくださいます。

ローマ8章26節「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」皆様、いつも気づかれていると思いますが、私の日本語はおかしい時がよくあります。しかし、何と聖霊は私のおかしい日本語の祈りをとりなしてくださり、神はその祈りを聞いてくださいます。神が私の日本語の祈りを聞いてくださるのならば、あなたの祈りを聞かないはずはありません。

教会の使命の一つは祈ることです。聖霊のとりなしとはまた違いますが、祈りを通して、私たちは誰かのために祈ります。とりなしの祈りです。誰々が癒されるように、救われるように、助けられるように、守られるように祈ります。そして、私たちは祈りを通して、その人と心を一つにします。喜んでいる人と、共に神に感謝と喜びの祈りを捧げます。泣いている人、苦しんでいる人と共に神に嘆きの祈りを捧げます。聖霊がうめきを持つように、私たちもその人と心を合わせます。ローマ12章15節「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」

2)あなたは祈る時、一人ではない。あなたが祈る時、あなたは一人ではありません。あなたが祈る時、聖霊があなたの祈りを聞いてくださり、あなたの祈りをとりなしてくださいます。被造物と私たちの体がうめいてることを先週のメッセージで学びました。私たちはたくさんの苦難に直面します。

しかし、今日の箇所によると、聖霊は私たちと共にうめきを持って、とりなしてくださっているように書かれています。神は私たちの苦しみを聞いてくださるだけではなく、同情してくださいます。神は聖霊を通して、あなたと一緒にうめき声を出します。神はあなたの痛みと苦しみに同情してくださいます。そして、あなたと一緒に喜んでくださいます。あなたが祈る時、あなたは一人ではありません。神は聖霊を通して、あなたと共におられます。ローマ8章26節「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」

これは素晴らしい愛だと私は思います。神の思いやりが表れています。神は遠く離れた神ではありません。私たちはイエスの故に、神の子となり、神と親密な関係を持つことができます。だから、どんな時でも、私たちは祈りを捧げることができます。そして、それがどんな事情だとしても、神は私たちの祈りを聞いてくださるのです。

「とりなし」とはどういう意味なのでしょうか?とりなしは簡単にいうと、間に立って助けることです。前にも、話したことがあるかもしれませんが、私の父と母は1990年に結婚しました。結婚する前に5~6年も付き合っていましたが、結婚するまでに少し苦労しました。父はアメリカ人だったので、母の両親から結婚の許可を得るために、仲介人に入ってもらうことになりました。お願いしたのは、私の父が当時教えていた学校の校長先生でした。

その人を通して話し合い、結婚の条件も定められ、最終的に結婚が許されました。仲介人とは、人と人との間に立って、橋渡しをしてくれる人を言いますね。私の両親のケースでは、父は変な人ではなく、信用することができて、家族を養うための十分な給料がある事などを証明してくれる人でした。結婚が許されるために、なこうどは交渉などをスムースに進行するよう助けます。

同じように、聖霊は私たちと神の間に立ってくださいます。聖霊は私たちの助け主です。私たちが祈れない時、私たちを励ましてくださいます。祈りの言葉が出ない時、私たちを強めてくださいます。頭がいっぱいで混乱状態の時、神は私たちに安らかな霊を注いでくださいます。

前に話したことがあると思いますが、私の妻が二人目の子供を妊娠していたときのことでした。私たちはお店で買い物をしていました。すると、いきなり出血しはじめました。私は妻と床の血だまりを見た時、ショック状態になりました。あの時のことを、ほとんど覚えていません。しかし、妻と祈ったことは覚えています。声はほとんど出ませんでした。語っていたことはほとんど意味不明でした。しかし、神はその意味不明な祈りを聞いてくださったことは確実です。聖霊がとりなしてくださったことも確実です。

3)神の御心に従って祈る。祈りにとって大切なことは、神の御心に従って祈ることです。祈る時、神の御心が何なのか、探る必要があります。そして、自分の祈りが神の御心と一致するように、神の力と導きを求めましょう。神の御心が分からないと思う方がいらっしゃるかもしれません。神が何を求めているのか分からないと思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし、大丈夫です。どんな祈りでも、聖霊はその祈りをとりなしてくださり、神はその祈りを聞いてくださいます。ローマ8章27節「人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。」

その時は明らかでなくても、徐々に神の御心が明らかになるでしょう。何のために祈ったら良いのか、クリアになるでしょう。神は何を大切に思われているのか。私のコミュニティのため、救われていない親戚のため、政府のため、世界宣教のため、神はあなたに祈りの道を見せてくださるでしょう。

最後に、祈り物事という賛美歌を皆様と歌いたい思います。この賛美歌を歌う前に、歌詞を一度お読みします。

1. 祈れ物事 皆儘(まま)ならず

  胸に憂(うれ)いの雲閉ざす時

  祈れよし道は 暗くあるとも

  祈れ全てを 主の手に委ねて

2. 祈れ心を 鎮(しず)めて神の

  胸は如何(いか)にと 知り得(う)るまでは

  祈れよし道は 暗くあるとも

  祈れ全てを 主の手に委ねて

3. 祈れ己(おのれ)の ことより寧(むし)ろ

  人を執り成す身となるまでは

  祈れよし道は 暗くあるとも

  祈れ全てを 主の手に委ねて

4. 祈れ御業(みわざ)は 必ず成ると

  信じて感謝を 為し得(う)るまでは

  祈れよし道は 暗くあるとも

  祈れ全てを 主の手に委ねて

バロウジョン牧師