日曜メッセージ:「聖霊に満たされる」"Filled With The Holy Spirit"

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タイトル:「聖霊に満たされる」 “Filled With The Holy Spirit”

聖書箇所:使徒2章1節~13節

皆様、おはようございます。ここ数日で、徐々にお店などがオープンし、経済活動が再開してきましたね。皆様、どうぞ十分な安全策をとり、健康をお守りください。

本日は、「聖霊の働き」というテーマに戻ります。聖霊は現在、私たちの間でどのように働かれているのか、動かれているのか、力を与えておられるのかを学ぶシリーズです。本日の箇所は聖書の中でとても重要な所です。二つの点からなぜ重要なのかを見ていきましょう。一つ目はイエスが約束された聖霊が弟子たちを満たされたから。イエスは自分がいつか去らなければならないことをご存知でした。

しかし、代わりに聖霊が遣わされると仰いました。イエスは、助け主である聖霊、真理の聖霊が来ると弟子たちに約束されました。そして、この聖霊が来ると、弟子たちをすべての真理に導くと仰いました。もう一つの理由は、この時に教会が生み出されたからです。聖霊が弟子たちを満たされたペンテコステの日は教会の誕生日とよく言われます。教会が宣教や伝道を始めた時点だと言われています。

この箇所は私たちにどのように適用するのか、考えたいと思います。三つのポイントです。一つ目:聖霊はあなたを満たす。二つ目:聖霊は変化をもたらす。三つ目:聖霊は人を統一する。

一つ目:聖霊はあなたを満たす。聖霊がペンテコステの日に弟子たちの上に留まった事実は全てを変えました。これはすべてのクリスチャンに影響がある出来事です。聖霊が弟子たちを満たされたように、私たち一人一人も満たされています。ペンテコステがあったからこそ、私たちは「聖霊が私のうちに宿っておられる」と確信を持つことができるのです。旧約聖書の時代と違って、新約聖書の時代では、その同じ聖霊は弟子たちの内にお住まいになりました。これはヨエル書で預言された現象です。「その後、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、 老人は夢を見、青年は幻を見る。その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、 わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル書2章28節~29節)そして、現在、聖霊の導きにより、キリスト者は神の働きとミッションのために権利と力が与えられました。

「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。(使徒2章3節)炎は神の御臨在を表します。旧約聖書の中で、神は柴の茂みの燃える炎の中からモーゼに語られました。神である聖霊は弟子の上に留まり、弟子たちのことを満たされました。

それと同じことが今、私たちにも起こっています。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」(第二コリント3章16節)「あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。」(第二13章5節)

二つ目:聖霊は変化をもたらす。前のメッセージでもお話ししましたが、使徒の働き1章に描かれている弟子と、使徒の働き2章の弟子は全然違います。1章に描かれている弟子は弱く、中途半端で自信がありません。しかし、聖霊で満たされた後の弟子たちは強められ、大勢の人々の前で素晴らしい働きを行います。

キリスト者の内には聖霊が宿っています。これは御言葉に明確に約束されています。しかし、聖霊が宿っていること、聖霊が住まわれていることを常に意識していなければ、あなたのうちに住まわれている聖霊を妨げたり、抑制してしまうことがあります。聖霊があなたに語り掛けているのに、その声を無視してしまうこともあります。聖霊があなたを導こうとしているとき、その導きに気づかないこともあります。ではそうならない為にはどう心がければ良いのでしょうか。三つご紹介します。

一つ目は心の感度を高めることです。私たちは敏感な心を持てるように祈らなければいけません。いつも心を霊的にオープンにし、神に「心を開いてください」、「あなたの御声を聞くことができるように助けてください」と祈ります。神に「私の心を開いてください」と祈り、霊的な心の感度を高めましょう。

毎朝、KZOOのモーニングプルメリアで薫アナウンサーの素晴らしいラジオ番組を聞いています。ラジオを聞くためには、電波の感度が良くなければ、ラジオを聞くことができません。きちんとチューニングします。同じように、私たちは心の感度を高めなければいけません。「私に語り掛けてください、私は聞いています」と神に語りましょう。

二つ目は罪についてです。罪はあなたの神との関係を妨げます。不従順な人の心は神の御臨在と導きを打ち切ります。「むしろ、あなたがたの咎が、 あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、 あなたがたの罪が御顔を隠させ、 聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ書59章2節)

三つ目は神に問うことです。神に問うことは大切です。私の家には小さいラナイがありますが、子供たちが外に出て遊びたい時、危ないので一人で勝手に外に出ず、必ず先に親に外に出てもいいか聞くように教えています。私たちは子供に「柵を超えたら危ないよ」「鉢植えを触ったら危ないよ」などと言います。そして、私たちも一緒に外に出て、子供が危ないことをしていないかチェックします。

なぜ、聞くことが大切なのでしょうか?なぜなら、親は必要な指示や指導を、必要な時にすることができるからです。この例えは、神に問うこと、聞くことと類似すると思います。どこかに出かける前でも、何かの決断をする時でも、また助けが必要なときにも、心を静めて、神に問うことが大切です。

三つ目:聖霊は人を統一する。この前、皆様に送らせて頂いたデボーションの中で話しましたが、人と人の間にある距離や隔たりが以前よりも強まっている感じがしています。もちろんウイルス感染のリスクを減らす為に、ソーシャルディスタンスを取ったり、人と接触を減らす必要はありますが、それが肉体的、物理的な距離だけでなく、人間的な距離、心の距離にも影響を受けているように思います。以前に比べて、人と人が目線を合わさない、あまり挨拶をしないなど、何か違和感を感じます。

ソーシャルディスタンシングというフレーズは心理学者によると、人と人の肉体的な距離だけではなく、人間的な距離、心の距離にも影響があると言われています。気づかないうちに、肉体的な距離だけでなく、心の距離を取ってしまっていることはよくあります。肉体的な距離を取ることは今、とても大切ですが、人間的、心の距離はしっかりと縮め、大切にすることが今、何よりも重要になっています。

聖霊は人を統一する力をお持ちです。それは人との距離を作るのではなく、縮めます。聖霊は、人と人の関係を縮め、私たちの間にある壁を超越します。壁は無意識で立てているかもしれません。思い当たることはあるでしょうか?神に明確にして頂くように、祈りましょう。

使徒の働きの2章に戻りますが、聖霊が弟子たちを満たされた結果、弟子たちは他国の色々な言葉で話し始めたと記されています。「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」(使徒2章4節)弟子たちはたくさんの言語を話しました。

そのリストは使徒2章9節と10節に記されています。アジアの言葉、アラブの言葉、ローマの言葉、たくさんの種類の言葉が出てきました。人々は他国の言葉を聞いて、驚きました。彼らは、ただのガリラヤ人ではないのかと、ただの田舎者ではないのかと、疑われ、非難もされました。「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。」(使徒2章13節)

この話の背景にはとても大切な意味が含まれています。創世記にハベルの塔という話があります。皆様、覚えていらっしゃるでしょうか?当時は一つの話しことばしかなく、彼らは、天に届く塔を立てようとしました。『彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」』(創世記11章4節)

しかし、神は人々の行動を見られ、彼らの言葉を混乱させました。「さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこでが全地の話しことばを混乱させ、そこからが人々を地の全面に散らされたからである。」(11章7節~9節)

バベルの塔の話の中では、人は罪深かったので、神は言葉を混乱させ、人々を散らしました。しかし、本日の箇所によると、聖霊はバベルの塔の出来事をひっくり返されました。神の救いのみ業により、聖霊は人々を集められ、一つにされ、新しい民を造られました。聖霊の働きは人々を統一する、一つにします。だから、教会の中では一つが保たれるように、一つを育むように教えるのです。