日曜メッセージ(母の日):「イエスから目を離さないで」"Fix Your Eyes on Jesus"

タイトル:「イエスから目を離さないで」

聖書箇所:ヘブル12章1節~3節

本日は母の日です。今年はいつもとは違う母の日ですね。私の妻は、私の二人の子供の母であり、日々頑張ってくれて心から感謝します。騒々しい子供たち、家を散らかす旦那。隔離状態の中で、妻は大変です。数日前、ニュースで面白い記事を読みました。夫と妻の家事分担についてでした。現在は学校が閉鎖しているため、多くの家族はホームスクーリングで子供に勉強をさせていますが、夫婦にアンケートを取りました。

妻よりも自分の方が、子供のホームスクーリングに関わっている、良くやっている、と思っている夫はどの位いたと思いますか?なんと46%もいたそうです。しかし同じ質問を妻に聞くと、たった3%だけが夫の方がやっている、と答えたそうです。様々なリサーチや研究によると、夫は普段から、自分がやっている家事をおおげさに言う傾向があるのだそうです。この記事を読んだ時、私は笑ってしまいました。「自分にも思い当たることがあるなあ」と思いました。

母の日は、普段家族のために尽くしている女性、家庭の基礎を作る女性、一生懸命働いている女性に感謝するいい機会です。私たちの家族は妻に感謝を表すために、子供たちと協力して、何かを作ってプレゼントする予定です。

母の日は、母親への深い愛と感謝をこめて始められた日です。普段はついあたりまえに思い、忘れがちな親の愛です。そしてこの良い機会は、自分の母親だけでなく、私たちの周りにいる女性、母、妻、祖母、アンティー、霊的な母に対して、感謝の気持ちを表す特別な日と言えます。ここにいるすべての女性の皆さんに感謝したいと思います。

今日は、霊的な家庭づくりについて皆様と学びたいと思います。もちろん、旦那と妻は協力して霊的な家庭づくりをしますが、母の役割は特別です。女性の愛はパワフルです。女性の愛は地上にある他の愛と比較できません。タイトル:「イエスから目を離さないで」。聖書箇所:ヘブル12章1節~3節。今日、注目したい聖書箇所はヘブル12章2節の前半です。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」周りの人がイエスから目を離さないように、イエスに目を向けることができるように、促す、助ける、支える方法を学びたいと思います。

本日の箇所を基礎として、三つのセリフを学びたいと思います。この三つのセリフは女性が、夫、子供、孫、そして周りの人を励まし、支える言葉ですが、何よりも、イエスから目を離さないように、イエスをいつも見ているように、導く言葉です。1つ目:あなたは一人ではない。2つ目:イエスから目を離さない。3つ目:元気を失ったらいけない。

1つ目:あなたは一人ではありません。ヘブル人の手紙11章に名前のリストが記されています。彼らは皆旧約聖書の登場人物であり、その信仰が称賛された人たちです。ノア、アブラハム、モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソンなど。彼らは模範的な信仰を表し、称賛されました。しかし、面白いことに、誰一人として完璧な信仰を持っていた人はいませんでした。誰もが過ちを犯したり、神を疑ったりしました。それでもやはり、私たちは彼らの経験などから学ぶことができます。私たちの周りには多くの証人たちが私たちを取り巻いています。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12章1節)

同じように、母として女性として、模範になる女性はたくさんいらっしゃると思います。信仰の模範、義の模範、愛の模範。一番身近な模範は自分の母ではないでしょうか。母がいなければあなたはここにいなかったでしょう。自分の母の愛を一言で表すなら、どのような言葉でしょうか?私は、「支える」です。私の母はいつも私と妹を始め、家族全員を支えていました。家族を養い、立ち上げ、一つにする役割を持っていたように思います。

そして、その愛は様々な形で表されました。その一つは祈りです。母の祈りは他に比べられません。私が小さい頃、母に祈られた時の印象がよく残っています。祝福の祈り、導きの祈り、その祈り、願いは神に伝わるだけでなく、子供にも伝わります。母の祈りの中には深い愛が示され、ストレートに伝わるものです。

数日前、教会のメンバーとこのことに関して話しをしました。家族と祈る、夫婦で祈る、子供と祈る、孫と祈ることは大きな祝福に繋がります。私が子供の頭の上に手を置き、子供の成長のため、祝福のために祈る時、例えその意味がよく分からなくても、子供は心で感じているし、神はその祈りを聞いてくださいます。

キリストが中心である新しい習慣を家庭の中で築きましょう。一緒に祈ることでしょうか?一緒に賛美を歌うことでしょうか?一緒に御言葉を読むことでしょうか?母として、キリストの愛、そしてキリストへの献身を家族の中で育みましょう。

あなたは一人ではないことは二つの意味が含まれています。一つの意味は家族がいるから一人ではないことです。これは教会の家族も含みます。家族のサポート、支えがあるから一人ではない。しかし、地上の家族というものは永遠ではありません。これは残念な現実です。あなたは一人ではないことは何よりも、イエスがいらっしゃるから一人ではありません。

これが二つ目の意味です。イエスはインマヌエル、神が共におられる。あなたは一人ではない、なぜなら、救い主であるイエスがあなたのことを愛されているから。イエスに頼る、イエスを信頼する、イエスに留まるように周りの方を促しましょう。母として、妻として、祖母として、アンティーとして、いつもそばにいることができません。いつもそばいてくださる方は主イエスです。その方に目を向けることができるように、励ましましょう。

2つ目:イエスから目を離さない。世の中にはたくさんの魅力的に見えるものがあり、私たちのフォーカスを奪います。今、私たちは困難の中にいます。新型コロナウイルス の影響で精神的、経済的、肉体的に苦しんでいる方はたくさんいます。このような時にあなたの周りに人はどこから助けを求めているでしょうか?天におられる神でしょうか?それとも、世の中にある一時的なものでしょうか?

母の観察力には比べものはありません。母は後にも目があると言われています。母は物事をありのままにくわしく見極める力を持っています。母は、誰かの悩みの原因、落ち込んでいる原因、困っている原因をすぐに自覚することができます。私の母いつもそうでした。私が悩んでいる時、困っている時、いつもサポートと愛を示してくれました。同じように、神の道、義の道から外れている時、イエスから離れている時、信仰が弱っている時、母はイエスから目を離さないように励ますことができます。

「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」(ヘブル12章2節)この箇所によると、信仰の創始者、完成者であるイエスから目を離さないようにしなさいと命じています。イエスは十字架を忍び、蘇られ、神の右に着座されました。イエスの名はすべての名にまさる名をお持ちであり、天にあるもの、地にあるもののすべてはイエスの主権の内に定められています。この箇所は、この方に目を向けなさい、何があっても、イエスから目を離さないように教えています。

同じように、母として、妻として、祖母として、アンティーとして、周りの人がイエスから目を離さないように励ましましょう。落ち込んでいて下を見ている時、天におられるイエスに目を向きなさいと言いましょう。世の中の流れに左右され、横を見ている時、天におられるイエスに目を向きなさいと言いましょう。仕事を失った子供に、学校に行けない孫に、経済的に心配している旦那に、悩んでいる教会の兄弟姉妹に、イエスから目を離さないでと心を込めて言いましょう。

3つ目:元気を失ったらいけない。私たちは元気を失うことはとても簡単です。私たちが望むシチューエーションが崩れてしまうと、すぐ元気を失ってしまいます。「もうダメだ」、「もう分からない」、「もう意味がない」、「もう疲れて続ける意味がない」というセリフを最近よく聞いているかもしれません。

私と妻が結婚したのは、私が神学校に入っていた時でした。日本で結婚式をした後、私は授業があったので、一人で先にシカゴに戻りました。妻は少ししてからシカゴに引っ越して来ましたが、私がその頃、運転していた車はボロボロでした。後ろのドアは壊れていて開きませんでした。エンジンがかからなくなる事もしょっちゅうでした。あの車で高速を走って無事に空港まで迎えに行けたことは奇跡でした。最初の1年、2年は大変でした。二人での生活だけでも新しくて慣れていないのに、外国で、環境も新しく、神が私たちのことをポトンとどこか知らないところに落とされたようでした。「もうダメだ」、「もう分からない」という思った時もありました。しかし、神は私たちのことを導き、祝福してくださいました。

元気を失ったらいけないというセリフはヘブル12章2節の続きです。模範であるイエスについて行き、主であるイエスから目を離さず、元気を失いません、疲れ果てません。「あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。」(ヘブル12章3節)

母として、妻として、子育てのことに関して、結婚のことに関して、家族のことに関して、仕事のことに関してどうしたら良いのかと思ったことはあると思います。今、そう思っているかもしれません。「元気を失ったらいけない」というセリフは根拠が無い、よく言う「元気でね~」ではなく、イエスキリストが基礎です。元気であることはイエスの力により、いきいきとして活力の盛んなさまです。元気の根拠はイエスにある喜び、イエスにある平安、イエスにある希望です。

祖母の愛。祖母が孫の上に手を置き、祝福の祈りを神に捧げる。「神よ、この尊い子をお守りください。この子の日々の生活を導いてください。あなたのことを知り、あなたの教えに従い、あなたに仕える者となりますように。」霊的な母の愛。教会の兄弟姉妹に「あなたは神に恵まれていて、たくさんの賜物が与えられています。これかも神のことを信頼することができますように。」母の愛。子供をギュッとハグして神に祈る。「この子があなたのうちに留まって、あなたを愛することができますように。」