日曜メッセージ:「あなたがたとあなたがたの子供たちの約束」"A Promise For You and Your Children"

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聖書箇所:使徒2章22節〜41節

タイトル:「あなたがたとあなたがたの子供たちの約束」

皆様、おはようございます。昨日、私の按手礼の面接が行われました。皆様のお祈りとサポートをありがとうございます。あまり詳しくご存知でない方もいらっしゃると思いますので、最初に少し按手礼の意味と過程についてご説明したいと思います。

按手とは「手を置く」という意味です。按手は旧約聖書の時代から続いている儀式で、霊的な祝福や、聖職者の任職を、象徴的に意味します。簡単にいうと、牧師として正式に聖別され、任命される儀式です。

旧約聖書では、族長ヤコブがヨセフの子供たちを祝福する際、その手を彼らの頭の上に置いて祝福の言葉を述べました。(創世記48章14節)またレビ人や祭司の相続や任職のためにされた按手の儀式が記録されています。ヨシュアがモーセの後継者として任命される際、モーセもヨシュアの上に手を置いて彼を任命しました。(民数記27章23節)

新約聖書においても、霊的な祝福や任職を象徴的に意味する行為として記されています。キリストが子供たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福されました。(マタイ19章13節〜15節)また、イエスは病人の上に手を置いて癒された。(マタイ9章18節)使徒たちも同様に病人の上に手を置きます。(使徒9章12節)

按手は、神に仕えるための聖別と任命の行為として行われます。7人の執事が選ばれた時、使徒たちは彼らのために祈り、彼らの頭に手を置きました。(使徒6章6節)アンテオケ教会の信者たちは、パウロとバルナバを伝道力に送り出す際し、彼らの上に手を置いて祈りました。(使徒13章2節〜3節)

按手礼を受けるのに必要な過程や期間は、教派によって違います。私たちの教会の教派である、福音自由派では、二つのステップがあります。昨日の面接は最初のステップで、神学に関して質問がされます。牧師に召された証や、神学についての理解など。そして面接で認められると、次に按手礼の儀式が行われます。この儀式は、私を正式な福音自由の牧師として認めて頂き、教会の皆さんと共に執り行われます。この按手礼の儀式は、今の状況が一旦落ち着いてから、行われる予定です。皆さまのお祈りとサポートをありがとうございます。

さて、先日、カリヒユニオン教会で行なっているマナミニストリーのお手伝いをしました。毎週300人以上が教会に来られて、食べ物が配布されています。経済が復興され始めていることは素晴らしいですが、まだまだたくさんの必要があります。引き続き、コミュニティのため、世界のためにお祈りしていきましょう。また皆さんのうちでも、何か必要がありましたら、遠慮なく私にご相談ください。

では今日は、聖霊の働きの最後のメッセージです。今日の箇所は使徒の働き2:22-41です。この箇所は、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が下り、聖霊に満たされたペテロが群衆の前で大胆に福音を述べ伝えた箇所の続きです。今日のメッセージのタイトルは、「あなた方とあなた方の子供たちの約束」です。この約束とは、イエスキリストの救いを意味しています。

今日特に注目したい箇所は、使徒2章38節〜39節です。「ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」(使徒2章38節〜39節)ペテロはこの救いの約束を人々に伝えたかった。世の救い主が来られたこと、そしてこの救い主は、私たちに救いを授けられたこと。二つのポイントです。1)救いと聖霊が授けられるという約束。2)あなたとあなたがたの家族の約束。

1)救いと聖霊が授けられるという約束。イエスキリストによって私たちに救いが授けられました。イエスの登場は、旧約聖書に預言されていたことです。イエスが地上におられた時、沢山の奇跡、しるし、そして技を表されました。そしてイエスは神が定めた計画、そして予知により十字架にかかられ亡くなりましたが、神はイエスを死から蘇らせました。ペテロはこう言っています。これらは全て神様の素晴らしい御心によって定められたことだ。

悔い改めて、信仰を告白する人は聖霊を受ける、と聖書に書いてあります。以前にも何度か、聖霊が私たちのうちに宿っている意味を学びましたね。この箇所の中では聖霊は賜物だと書いてあります。聖霊私たちに与えられた素晴らしいギフトです。聖霊は私たちに命、そして義を授けます。

ペテロの演説が終わった時、彼は、聞いている群衆たちにこう勧めました。この曲がった時代から救われなさい。そしてなんと3000人もの人が福音を受け入れ、洗礼を受けました。その時と同じ聖霊が今でも、私たちのうちで働かれています。その頃とは時代が違うから、状況が違うから、このようなことは今はもう起こらない、と思われるかもしれません。しかし聖霊は、その時と全く変わっておられないのです。聖霊は昨日も今日もとこしえに変わることがありません。

私たちは今でもこのような聖霊の働きを期待することができます。私たちは、神の視点ではなく、自分の目で見てしまう、力を小さく見てしまう傾向がありますが、神は大きな働きをもたらされる方です。神にとって不可能なことは何もありません。私たちにとってあり得ないことも、神においてはありえるのです。私たちが祈る時も、小さく祈ることも大切ですが、大きく、大胆に祈ることも大切です。使徒の2章に書かれているように、世界の人々が福音にふれ、救われるように祈っていきましょう。

もう一つ大切なことがあります。毎日を自分中心で生きていると、聖霊が働くスペースが無くなってしまいます。自分の意思、欲、考え方ばかりが全面に出てしまうと、どうでしょうか。神の御心のままに聖霊が働くためには、自分を二番手にして、謙遜な態度で、心を聖霊に明け渡すことが必要です。聖書の中には、肉に従う人と、聖霊に従う人が区別されています。聖霊に従うものは、命と平安で満たされ、肉に従う人は神を喜ばせることができず、自分の欲に満たされています。

「肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。」(ローマ8章5節〜6節)この箇所によると、肉に従うもの、肉に属する考え方と、御霊に属する考え方の違いが記されています。御霊に従って、御霊の思いを促しましょう。御霊の導きに従うことは、時には簡単でないでしょう。しかし、命と平安につながるのです。

御霊の導きに従わず、私がずっと後悔していることを少しお話ししたいと思います。東北、石巻で奉仕をしていた時、仮設住宅を訪問しました。そこで一人の女性に会いました。その方に挨拶をすると、すごく親切に挨拶をしてくれて、彼女に信仰について書いてあるトラクトを渡しただけで、それ以上話はしませんでした。急いでいたのか、夜遅くなっていたのか、緊張していたのか、よく覚えていませんが、どうしてあの時もっとゆっくり話さなかったのか、なんで彼女のために一緒に祈らなかったのか、今でも本当に後悔しています。

そういう後悔がないように、神を信頼し、共におられることを意識して、聖霊の力と導きの中で行動しましょう。私たちの人生の中で、人を助ける機会というのは神に与えられたものです。その機会を見逃さずにいなければいけません。

私たちに聖霊が注がれる、ということは、神の御心を理解し、神と心を通い合わせることができるために、神ご自身の霊を私たちに与えてくださった、と言うことなのです。なんと素晴らしい約束でしょうか。

2)あなたとあなたがたの家族の約束。イエスの救いの約束はあなたとあなたがたの家族に授けられた約束です。去年、日本福音自由教会の大会に参加させて頂きました。素晴らしい教えをたくさん学びましたが、一人の方の証をよく覚えています。それはある人が牧師になったことで、お父さんに批判され、勘当された話でした。

しかし、彼は絶えずお父さんのために祈りました。そして何年も経って、つい最近、そのお父さんはイエスのことを信じ、バプテスマを受けました。周りを見ると、その話を聞きながら、ほとんどの人はすすり泣いていました。そしてその後、そのお父さんご本人が証されました。素晴らしい証でした。

頑なな心が開かれて、救われるお話はとても感動的です。皆さんがご存知のように、日本のクリスチャン人口は少ないです。様々な統計がありますが、約1%と言われています。泣きながら聞いていた人たちの中には、まだ救われていない家族や友達のことを思い浮かべながら聞いていた人もいたでしょう。愛している人には、救われてほしい、と思うものです。

救いの約束は遠くにいるすべての人々に授けられた約束です。遠くにいる人々とは、ユダヤ人だけではなく、異邦人、全ての人たちです。年齢、性別、国籍、人種に関わらず、授けられた約束です。そして同じ救いの約束は、近い人にも授けられました。それはあなたの家族、配偶者、子供、隣人です。

あなたにとって、この人にイエスのことを知ってほしいという人はいるでしょうか?今、誰の名前が頭に浮かんだでしょうか?今、その方のために一言お祈りします。

救いには三つのステップが含まれています。一つ目は悔い改めることです。神の御前で自分が罪びとであること、過ちを犯してしまったことを認めて反省し、ごめんなさいと言うことです。二つ目のステップは信仰を告白すること。イエスが救い主であること、イエスが主であることを認めて、イエスの教えに従います。イエスの弟子として、新しい人生を歩むことを決断することです。イエスを信じることで、聖霊が授けられます。そして、最後はバプテズマです。救いに必須ではありませんが、イエスは私たちに、バプテスマを受けるように命じられました。バプテスマはあなたの内側に発生した変化を洗礼という行為を通して、外側に示すものです。