日曜メッセージ:新たな献身 “Renewed Devotion”
聖書箇所:使徒2章42節〜47節
タイトル:新たな献身 “Renewed Devotion”
皆様、おはようございます。新型コロナウイルスでハワイがロックダウンされてから2ヶ月以上も経ち、世界中の経済や社会に大きな影響を与えました。教会も大きな影響を受けています。私たちの教派、福音自由教会の新しいいくつかの姉妹教会はビルディングがなく、以前は学校の建物を借りて礼拝を行っていました。
しかし、新型コロナウイルスの影響で、もう学校が使えず、集うことができていません。そして経済的に困っている教会もたくさんある中、私たちの教会が守られていることを神様に感謝しています。礼拝をするチャペルがあること、そして経済的にも支えられ、礼拝を行うことができることは感謝です。この困難の中、皆様が続けて忠実に祈り、捧げてくださることを感謝致します。
この状況下で、私たちは初めてオンライン礼拝やオンランミーティングを持つことができました。チャレンジの中にはありますが、ミニストリーの新しい方法が与えられました。しかし私たちはこれからも大きなチャレンジに直面するでしょう。教会として、完全に元に戻るには時間がかかると予想されます。これから私たちのミニストリー、宣教などをどのような形で行なっていくのか、改めて考える必要があります。これからも引き続き祈っていきましょう。
旧約聖書にユダヤ人の離散が描かれています。イスラエルはバビロン国に征服され、捕囚されました。多くの人は母国から追い出され、そしておよそ50年後にやっとイスラエル人たちは母国に戻ることができました。そして彼らは、もう一度最初から国を建て上げなければなりませんでした。そしてエルサレムにある壊された神殿をもう一度再建する必要がありました。この話はエズラ記とネヘミヤ記に記されています。
国から追い出されて絶望の中にあったイスラエル人たちをまた集めて国を再建するお話はとても感動的です。彼らはたくさんの困難に直面しました。しかし彼らはひたすら努力を続け、神殿の再建に尽くしました。ネヘミヤの8章にエズラがイスラエル人の前で神の御言葉を読んだ箇所があります。エズラが神のみことばを開いた時、イスラエル人たちは神をあがめてひざまずき、顔を地面につけて賛美しました。これはイスラエル人たちにとって、聖なる、大切な時でした。
私たちの教会状況も少しだけ似ているところがあるかもしれません。離散ではありませんが、新型コロナウィルスの影響で教会に集えません。しかしいつも心を一つにし、改めて神の御言葉を中心にしてもう一度教会を立てあげていく必要があります。私たちの建物は壊されたわけではありませんが、もう一度教会を作り上げていくこと、そして改めて献身することが必要です。
さて、本日から新しいメッセージシリーズを始めたいと思います。使徒の働き2章42節から47節を通して、「献身」Devotionのシリーズを皆様と学びます。このパンデミックの中で私たちは、肉体的にも信仰的にも教会や神から離れがちです。このシリーズを通して、もう一度献身することの大切さ、イエスが私たちに求められていることを学び、改めて献身できるよう、一緒に学んでいきましょう。
「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2章42節)これは先週学んだ、ペテロの演説のすぐ後です。この箇所から、聖徒達が教会として四つの事を行なっていたことが分かります。使徒たちの教えを守る、交わりを持つ、パンをさく、そして祈り。今日は、この使徒たちの教えを学びましょう。二つのポイントです。1)最も大切なことに献身する。2)互いに献身する。
1)最も大切なことに献身する。献身とは一体なんでしょうか。クリスチャン生活ではよく聞く言葉ですが、今日改めて考えてみましょう。聖書の中で献身は、ギリシャ語の「プロスカテレオ」という言葉が使われています。この言葉は、たゆみなく努力する、という意味があり、日本語の聖書訳の”守る”では少し物足りない感じもします。たえず熱心に努力し、献身の姿を守る、というイメージでしょうか。
この献身、プロスカテレオという言葉は他の聖書箇所にも使われています。例えば、「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」(ローマ12章12節)や、「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」(コロサイ4章2節)
この二つの箇所では、ひたすらたゆみなく、祈るように私たちに教えています。献身を簡単に定義すると、「自分の身をささげて尽くすこと。ある物事や人のために、自分を犠牲にし努力して力を尽くすこと。」
人は毎日色々なもの、自分が愛するものに献身しながら生きています。献身の対象は人によってそれぞれ違うでしょう。配偶者、子供、家族、恋人、もしくは仕事や趣味かもしれません。配偶者に献身する人は、何十年も連れ添い、お互いのために生きます。子供に献身する人は、愛と時間とお金を注ぎますよね。仕事に献身する人は、時間と能力を最大限に使って仕事に打ち込むでしょう。献身して生きること自体はとても素晴らしいことです。しかしどんなに心を尽くし、愛とお金と時間を注いでも、これらの地上のものは永遠には続きません。ではキリスト者である私たちが自分の身をささげて尽くすものとは一体なんでしょうか?そうです、イエスキリストです。
私たちキリスト者にとって大切なことは、イエスのために自分の身をささげ、努力して尽くすことです。人は環境や状況によって、簡単に左右されたり、フォーカスを見失ったり、迷ったりしてしまいます。特に今の新型コロナウィルスの時期、それが顕著に表れていると思います。
しかしこれは今に始まったことではありません。実は聖書の時代もそうでした。聖書の時代にも、人は同じように周りの環境に左右されていたのです。聖書に目を覚ましなさい、用心しなさい、注意しなさい、覚えなさい、などの教えが何度も出てきているのは、その為です。
私はいつも妻に怒られていることがあります。それは物忘れです。例えば、朝仕事に行く時にごみを捨てるように頼まれて、ごみを先に外に出しておきます。そして家を出る時にはすっかり忘れて、その準備されたゴミの横を通って、仕事に行きます。先日は母の誕生日でしたが、完全に忘れていました。しかし父がテキストをしてくれたので、すぐに覚えていたかのように電話しました。
私たちは何回も同じことを自分に繰り返しリマインドしなければ、すぐに忘れてしまう生き物です。神の教えについてもそうです。ヨハネの手紙第一3章11節です。「互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。」ヨハネは手紙の中で何度も、同じことを繰り返します。互いを愛しなさい。互いを愛しなさい。互いを愛しなさい。そしてこれは新しい命令ではなく、初めから、言われていた古い命令です。すでに、もう何度も聞きました。しかし、それでもヨハネは何度も繰り返します。そうしないと私たちは忘れてしまうからです。
さて、使徒2:42によると、初代教会は使徒たちの教えを守りました。使徒。使徒になるには二つの条件がありました。一つはイエスと共に時間を過ごし、教えを受けたこと。使徒パウロの場合は、蘇られたイエスを目撃したと書いてあるので、パウロも使徒です。二つ目はイエスにより個人的に選ばれたことです。
その使徒たちがイエスの教えを記録してくれたことにより、今この時代でも、私たちはイエスのことをより深く知ることができますね。使徒たちの教えは、権威を持ち、信頼することができます。使徒たちはそのイエスの教えを守り、人々に伝えました。そしてそれが記録され、私たちの新約聖書となったのです。その新約聖書から2000年後の私たちも同じ教えを学んでいるのです。
パウロは第一コリントで、信者たちが誤った教えに惑わされないように、最も大切なことを伝えたい、と言っています。この箇所から、最も大切なことを探してみましょう。それは、私たちの信仰の基本でもあります。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」です。(第一コリント15章3節〜4節)
そうです。最も大切なこととは、聖書に書いてある通りに、イエスが十字架にかけられたこと、蘇られたことです。これは福音、そして私たちの信仰の基礎ですね。だから私たちはまず最初に主である、キリストに献身する必要があるのです。
2)互いに献身する。神に献身することの次に大切なことは、人に献身することです。新約聖書で「互いを。。。」という表現は何度使われているかご存知でしょうか?答えは94回です。互いを助けなさい、互いを促しなさい、互いのために祈りなさい。互いに罪の告白をしなさい、一致を保ちなさい、互いに仕えなさい。
互いに教え、忠告し合うことも大切です。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3章16節)知恵を尽くして互いに教えるということは、上から目線で、一方的に教えるのでありません。自分の思い通りに人を変えようとするのでもありません。
神が授ける知恵を謙遜を持って、人を立てあげるために伝える。忠告も同じです。忠告する時も愛を持ち、人の状況に配慮し、謙遜な態度で、人を傷つける為ではなく、人を成長させるために言います。先日の按手礼の面接でも、私がしっかり答えることができなかった点に関して、もう少し勉強するように忠告されました。しかしそれはできていないと怒るのではなく、私の成長のために、愛を持って言われた助言でした。
愛を持って互いに仕え合うことも大切です。愛という言葉はギリシャ語では仕える人、という意味です。謙遜な愛を持って、互いに仕えなさいと書いてある訳もあります。仕える愛、人を立てあげる愛。「愛をもって互いに仕え合いなさい。」(ガラテヤ5章13節)