復活祭メッセージ(バイリンガル):「空の墓 」ルカ24章1節〜12節
タイトル:空の墓
聖書箇所:ルカ24章1節~12節
皆様、おはようございます。復活祭、おめでとうございます。去年とは違って今年の復活祭は、皆様とともに私たちの蘇られた主をこの場所、そしてオンラインで礼拝することができることを感謝しています。
今日までのイエスの地上での最後の一週間に、受難週と言いますけれども、イエスはさまざまな困難を通られました。そして今日、やっと復活までたどり着きました。先週の日曜日、イエスはエルサレムに入城され、人々に王として迎えられました。イエスは木曜日の夜、最後の晩餐を弟子たちと過ごし、金曜日に逮捕され、死刑を宣告されました。そして、イエスは十字架の上で最後の息を吐き、亡くなり、墓に葬られました。この一週間は全てを変えました。この一週間はただの歴史的な出来事ではありません。イエスの死と復活は歴史上、最も重要な出来事です。今日はイエスの十字架の死、そして復活に注目して、その意味を解きたいと思います。
1)イエスの十字架の死。イエスは激しい苦しみと痛みを経験され十字架の上で亡くなられました。十字架の死刑はどれだけ恐ろしかったのでしょうか?十字架は最も忌まわしいもの、恐怖と侮辱を表すものでした。死刑の中でも、十字架の刑は最も凶悪な犯罪者・政治的な扇動者・奴隷のために使われていました。十字架の刑は、人を犯罪から思いとどまらせるために、警告の意味でも用いられていました。十字架の死刑は公であり、犯罪者は服を脱がされて裸にされ、侮辱されながらの死に方でした。
イエスが十字架に掛けられた時、まず最初にイエスの手首が釘で柱に打ち込まれした。それから、十字架は上げられ、イエスの足首も同じように釘で柱に打ち込まれました。十字架刑は出血と窒息で死に至ります。十字架に掛かる人は、息をするために自分の体を持ち上げる力を徐々に失っていきます。そして死を確実にするために、兵士たちが行った二つの事がありました。それは、巨大な木槌で犯罪者の足を骨折させる方法と、胴体に槍を突き刺す方法です。 イエスは、最初の方法は免れましたが、すでに死んでいたにもかかわらず、2番目の方法は免れませんでした。
なぜイエスはこのような苦痛と侮辱を自ら経験されたのでしょうか?イエスは第一ペテロ2章24節「キリストは自ら十字架の上で、 私たちの罪をその身に負われた。 それは、私たちが罪を離れ、 義のために生きるため。 その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」
十字架の処刑では、もちろんイエスが一番苦しみましたが、イエスの弟子たちや家族にとっても耐えがたい苦しみでした。彼らは愛するイエスが、ひどい苦しみを受け、死んでいくのを目撃しました。
2)イエスの復活。3日後、女性たちは自分たちが準備しておいた香料を持って墓に来ました。ほとんどの弟子は、ユダヤ教の指導者たちにイエスの弟子として、逮捕されてしまうことを恐れていたので、隠れていました。彼らは、墓に近づくことは考えていませんでした。しかし、イエスを愛されていた女性たちはイエスの死体に香料を塗るために、墓に行きました。お墓と聞くと、どんな事をイメージされるでしょうか。国や文化によって、お墓は様々な形をとります。イエスの時代、墓は岩を掘って造られていました。女性たちが墓に着くと、墓の入り口に置かれていた巨大な石がわきに転がされていました。びっくりした女性たちが中を見ると、イエスの体はありませんでした。
すると、輝く衣を着た人が二人が現れました。この二人は天使であり、二人の女性に二つのことを知らせました。ルカ24章5節~7節「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」
一つ目はイエスはここにはおられない、イエスは蘇られたこと。イエスは死んでいるのではなく、生きておられる。二つ目はイエスは仰ったことを思い出すこと。イエスは死んで蘇ることを、何度も弟子たちに告げましたが、その時は誰もイエスの言葉を理解することができませんでした。天使は女性たちにイエスのお言葉を思い出しなさいと言います。すると、女性たちはイエスの言葉を思い出したと聖書に記されています。
そして、彼女たちは急いで弟子たちのところに戻り、目撃したことを弟子たちに伝えました。しかし、弟子たちは、女性が言ったことを信じませんでした。しかし、ペテロだけは立ち上がり、墓が空っぽであることを自分の目で見たいと思い、走って墓に行きました。弟子たちは最初、イエスの復活を疑っていたのです。
十字架は死刑の道具であり、死と苦しみを象徴していた十字架の意味を、イエスは完全に変えられました。同じように、死と悲しみを象徴する墓の意味を、希望といのちに変えられました。一般の人はお墓は悲しい、怖い、お墓は重苦しい、暗いというイメージを持っているかもしれませんが、クリスチャンはイエスの復活による空の墓を想像します。死は終わりではない。死は恐れるものではない。私も信仰を持つと、イエスを信じると、イエスが蘇られたように、私たちにも希望と永遠のいのちが授けられるのです。
どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。なぜ恐れているのですか?なぜ悩んでいるのですか?なぜ不安に思っているのですか?なぜ平安が無いのですか?私たちの目を空の墓に向けましょう。イエスは死から蘇られました。イエスは罪の勝利者です。イエスは死の勝利者です。イエスは困難の勝利者です。イエスは悲しみの勝利者です。