日曜メッセージ:「十ミナの例え話」ルカ19章11節〜27節

タイトル:十ミナの例え話

聖書箇所:ルカ19章11節~27節

以前にもお話ししたことがありますが、私が7歳か8歳の時、4歳下の妹を初めて一人で家で見たことを今でもよく覚えています。妹はおむつをしていたので、私は妹のおむつを頑張って変えようとしました。初めてだったので、変え方も捨て方もあまりわかりませんでした。おむつだからトイレに流したら良いと思い、おむつをトイレに流そうとしました。なかなか流れなかったので、もう一度流しました。そしてもう一度流しました。トイレの水が浮き上がり、溢れ出しました。私はなんとも思わず、おもちゃで遊び始めました。母が家に帰ってきても、何も言わず、母がトイレに行った時、「きゃ~!」という声が聞こえました。今は私はもう何百回もおむつを変えているので、変え方も捨て方もバッチリです。

私たちがイエスの再臨を待ち望む中、イエスは私たち一人一人に大切な召命を授けてくださいました。イエスは復活され、昇天された後、この世に戻ってこられると約束されました。そして、イエスが来られる時までの中間の時期、私たちには管理者の召命が与えられています。私たち一人一人は留守番をしているようなものです。主人であるイエスは、外出中であり、また戻って来られます。イエスがいらっしゃらない間、私たちは与えられた賜物やギフト、資源を忠実な管理者として、神が喜ばれるように管理します。

まず最初に今日の箇所の文脈を説明します。来週は棕櫚の日曜日、Palm Sundayです。イエスが救い主としてエルサレムに入城され、人々に迎えられた日曜日です。その直前、イエスは人々に今日の箇所、十ミナの例え話を話されました。人々の誤解を正しくするためでした。ルカ19章11節「人々がこれらのことばに耳を傾けていたとき、イエスは続けて一つのたとえを話された。イエスがエルサレムの近くに来ていて、人々が神の国がすぐに現れると思っていたからである。」

当時ユダヤ人は、ローマ帝国の征服から自分たちを救ってくれる人を待ち望んでいました。人々はイエスに対して、誤った期待を持っていました。イエスは軍事的な戦士として、ローマ帝国の征服や、政治を覆してくれるだろうという期待を持っていました。多くの人はイエスが誰なのかを誤解していましたが、イエスは神の御国の到来を定めるお方、神の子であり、神の国を成立するために来られました。

今日の例え話の中では、主に四人の登場人物が出てきます。一人は主人です。彼は身分の高い人でした。彼が王座を授かるために遠い国に行く際、しもべたちに十ミナを与え、彼が帰って来るまでこれで商売しなさいと命じました。そして、彼は王座を授かってから帰ってきました。この主人は、イエスを例えています。イエスは神に遣わされて、この世を歩き、十字架にかかり、復活され、天の御座につかれました。そして、イエスは王として帰ってくると約束されました。そして、主人がしもべたちに、どんな商売をしたのか尋ねたように、イエスも同じように私たち一人一人に聞かれます「私があなたに授けた物を忠実に管理しましたか?」

三つのポイントです。1)神はあなたに良い物を預ける。2)神の賜物の用い方。3)神は忠実な者にさらに与える。

1)神はあなたに良い物を預ける。神は良いお方であり、私たちの生涯を良い物で満たしてくださいます。例え話の主人はしもべたちにそれぞれ一ミナを預けました。一ミナは三ヶ月分から四ヶ月分の給料です。ルカ19章13節「彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。」神は同じように、私たちに一ミナを預けられます。この一ミナは神の恵みと愛により、私たちに授けられるもので、私たち自身は受けとる価値を持っていません。それでも、神は私たちの生涯を良い物で満たしてくださいます。

ここで二つの言葉を識別します。「授ける」と「預ける」です。授けるとは、物を与えることです。神は良いお方なので、たくさんの恵みを私たちに授けられます。預けるとは何かを人の手もとに置き、その世話や保管を頼むことです。管理や運営の責任を任せることです。神が授けられる時、同時に預けておられます。神は、ただ自分で楽しんで消費するだけの為に授けたわけではありません。神が授けられる時、神はその何かの管理の責任を任せておられ、その世話を頼んでおられます。神は何かを私たちに預けるとき、私たちが忠実な管理者、誠実な管理者としてマネージすることを望んでおられます。

神は私たちに何を預けられているでしょうか?所有物やお金のことを最初に思いつくかもしれませんが、他にもたくさんあります。例えば、時間です。あなたの日々の時間は神に預けられたものです。時間を無駄にせず、その時間を、管理者として忠実に用いておられるでしょうか?私は子育ても同じように考えています。子供は神に預けられました。親は管理者です。私は親として子供が神のことを知るように、神の御言葉を学ぶように、神の働き手として成長するように責任を任されていると思っています。

霊的な賜物もそうです。おもてなしの賜物、人を助ける賜物、優しい言葉をかける賜物、歌の賜物、祈りの賜物など。その賜物の管理者として、その賜物をどう生かしておられるでしょうか?

私たちは与えられている、良い物に対して、新しい視点を持たなければいけません。

2)神の賜物の用い方。主人は三人のしもべに同じ質問を尋ねました、「私があなたに預けた一ミナをどうした。」最初の二人のしもべは同じような答えをしました。一人目のしもべは主人の一ミナで商売して、十ミナをもうけました。二人目のしもべは一ミナで商売し、五ミナをもうけました。彼らは努力して金額を増やすことができました。商売とは、投資でしょうか。貿易でしょうか。しかし、三人目のしもべは一ミナを布に包んでしまっておいていました。

これを聞いて、「一ミナを大事にして、おいていたことは良いことではないですか?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。なぜこのしもべは主人に叱られたのでしょうか?一つ目の理由は、しもべは主人の命令に従いませんでした。主人はしもべたちにこのお金で商売をしなさいと、言いました。しかし、しもべは商売を全くしませんでした。二つ目の理由は、しもべのお金の扱い方です。彼は一ミナを布に包みました。当時、大きな銀行や金庫は無かったので、人はお金を家の中に隠したり、埋めたりしていましたが、このしもべは一ミナをハンカチのような布に包み、そこまで大事にしませんでした。少しいい加減でした。

三人目のしもべはなぜ主人の命令に従わなかったのでしょうか?主人がしもべに尋ねると、しもべはこのように返事しました。ルカ19章21節「あなた様は預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取られる厳しい方ですから、怖かったのです。」しもべの答えを聞いた主人は、彼のことを厳しく非難しました。しもべの答えには二つの問題があります。

一つ目は彼は主人のことを批判した。しもべは主人が厳しい方であることを批判しました。ギリシャ語で使われている言葉は「頑固、キツすぎる」という意味が含まれていて、批判的な言葉です。しもべは主人の命令に従わなかっただけでなく、主人に対して文句を言いました。二つ目はしもべは怖がってしまった。彼は主人が厳しいから、怖くなってしまって、行動することができなくなってしまいました。怖かったら、頑張って商売するでしょう、と思うかもしれませんが、彼は怖さに捕らわれてしまいました。

このしもべの態度と考え方は私たちの態度と考え方を反映するのではないでしょうか?あなたは神があなたに預けた一ミナに対して、どのような態度を持っておられるでしょうか?「神は他の人にこれを預け、私にはこれを預けたのでフェアではない」「私はこんなものを預けられても、どうしたら良いかわからない。」神は私たち一人一人に一ミナを預けられました。その一ミナは人によって違いますが、神が御心により預けられた物なので、神のしもべとして、「神様、あなたの恵みにより、私に預けてくださったものを忠実に預かります」と応答する必要があります。どれだけアンフェアであると思っても、どれだけ嫌でも、あなたは管理者としての責任を持っているのです。

最初の二人のしもべは恐れず、預けられた一ミナを隠さず、一ミナを10ミナと5ミナに増やしましたが、これは簡単なことではなかったでしょう。彼らは努力をしたでしょう。彼らも主人が厳しかったことを知っていましたが、恐れず、忠実に働きました。大切なことは、神の御心を信じ、良いものを生かすことです。用いることです。育むことです。神は理由を持って良い物をあなたに預けておられます。

3)神は忠実な者にさらに与える。主人は忠実だったしもべたちのことを賞賛しました。ルカ19章17節「主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』」一ミナに忠実であったしもべたちには、十の町と五つの町をさらに与えられました。主人は彼らに新しい特権、新しい責任を与えました。神は一ミナだけに忠実であれば、少しだけ持っていても、それに忠実であれば、たくさん持っていても忠実であることを知っておられます。仕事場でも同じです。新しい職人は、まず最初に小さな作業をよくできることを確認されてから、大きな責任を預かります。

神は同じように、少しだけ持っている人が忠実ではなかったら、たくさんあっても忠実にならないとご存知です。神があなたに預けられた一ミナを忠実に管理しましょう。残念ながら、主人は忠実ではなかったしもべの一ミナまでも取り上げました。ルカ19章26節「おまえたちに言うが、だれでも持っている者はさらに与えられ、持っていない者からは、持っている物までも取り上げられるのだ。」

主人は十ミナと五ミナを儲けたしもべたちを称賛しました。神があなたに預けたものに対して、忠実な信仰、誠実な信仰を持つと、神はあなたに新しい責任、新しい祝福、新しい賜物を預けてくださいます。大切なことは忠実であることです。

しもべたちは、主人が旅からいつ帰ってくるのか、知りませんでした。彼らにはどれだけの時間があるのかもわかりませんでした。イエスの再臨も同じです。イエスがいつお戻りになるのか、私たちには不明です。ですから、今、今日から、神が喜ぶ管理、神を礼拝する管理を施すことができるようにしましょう。そうすると、神は「よくやった。良いしもべだ。」とあなたの忠実な管理を喜ぶでしょう。