日曜メッセージ:「聞き方に注意!」ルカ8章16節〜18節
タイトル:聞き方に注意!
聖書箇所:ルカ8章16節~18節
今日のメッセージは先週のテーマの続きです。御言葉が語られても、人が御言葉を聞く時、様々な反応することを学びました。御言葉を無視する人、表面的に聞く人、御言葉を忍耐を持って心に留める人。御言葉を聞く時は、聞き方に注意することが大切です。イエスは警告します。「聞き方に注意しなさい」。この「注意」という単語は、深く考えなさい、調べなさいという意味を表します。「私はどのように神の御言葉を聞いているのか?御言葉を聞く時、私はどのような姿勢で聞いているのか?」と自分の心を探りなさいと語っておられます。
ルカによる福音書にとって重要なテーマは「聞く」ことです。ルカ8章では、「聞く」という言葉が何度も繰り返されています。まず最初に先週学んだ、種まきの例え話。イエスは良い地のように、御言葉を聞いてそれをしっかり守り、忍耐して実を結ぶように人々に教えました。ではイエスが「聞き方に注意しなさい」と警告している今日の箇所を見てみましょう。
イエスの母と兄弟たちがイエスに会いたい、と外に立っていることを聞いた時、イエスはなんと仰ったでしょうか。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちのことです」 そして、イエスは風と荒波を叱りつけ、風や水はイエスの言葉に従いました。また、イエスは悪霊につかれている男に会い、男から出て行きなさいと悪霊に命じられ、悪霊はイエスの言葉に従いました。最後に、イエスは病いで亡くなっていた少女に「子よ、起きなさい」と命じられ、少女は起き上がりました。
自然界でさえ、イエスの言葉を聞いて従った。悪霊でさえ、イエスの言葉を聞いて従った。死人でさえ、イエスの言葉を聞いて従った。イエスのお言葉に、私たちの想像以上の力と権威があることがわかります。あなたは同じ力と権威のある御言葉を聞いて、どう反応しているでしょうか?十分な注意を払っているでしょうか?その御言葉を丁寧に受けて深く考えているでしょうか?イエスは「聞き方に注意しなさい」とあなたを励ましておられます。
今日は、その御言葉の影響力と力に注目したいと思います。今日の箇所によると、イエスの言葉、御言葉を光に例えています。三つのポイントです。一つ目:真理を照らす御言葉。二つ目:暗闇を明らかにする御言葉。三つ目:祝福を備える御言葉。
一つ目:真理を照らす御言葉。今日の箇所は光の例えですが、マタイ5章とは少し違います。マタイ5章は伝道的、ミッション的なメッセージを含んでいて、イエスは私たちのことを「世の光」であると告げられました。しかし、ルカ8章の教訓は、言葉であるイエスそのものが光であり、人々がその光にどう反応したのかが描かれています。イエスは明かり、ランプです。灯り、と聞くと、電灯を想像するかもしれません。クリスマスの時に皆様と学びましたね。イエスはご自分のことを「私は世の光です」と宣言されました。イエスは真理の源であります。イエスご自身は真理であり、イエスは真理そのものを体現しています。
ルカ8章16節「明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいません。燭台の上に置いて、入って来た人たちに光が見えるようにします。」明かりというもの自体は何かの下に置くものではありません。イエスは隠されるためにこの世に来られたのではありません。イエスは世の中に真理を輝かせるために来られました。イエスは神の愛を啓示するため、神の御心を行うために私たちの間に住まわれました。
イエスの働きは密かな出来事ではなく、世界に変化をもたらし、今もなお世界中で明るく輝いています。イエスの光は大きな影響力を持っており、人の目がくらむような明るい光を照らしています。イエスの御降誕は歴史の流れを完全に変えました。真理であるイエスは秘めるべきものではありません。
真理を表す御言葉、私たちが持っている聖書も同じではないでしょうか?聖書は本棚に置いておくものではありません。聖書は飾りではありません。聖書は開いて朗読するものです。聖書は聞くものです。以前にもお話ししましたが、私が日本に住んでいた時、そば屋さんでアルバイトをしていました。店長はすごく良い人で、実は、私の妹と母もそのそば屋さんでアルバイトをしたことがあります。クリスチャンではありませんでしたが、店長の誕生日に私は聖書をプレゼントしました。彼は喜んで受け取ってくれました。
そして、ある日私は店長に「聖書を読みましたか?」と聞くと、彼は「まだ読んでいないが、ここにあるよ。これは私のお守りなんだよ」と言い、バッグから取り出しました。私は彼に聖書を読んで欲しくて、「聖書は面白いから、ぜひ読んで見てください」と頼みました。聖書はお守りではありません。持っているだけでハッピーになったり、守ってくれたりするものではありません。聖書は本棚にコレクションするだけの本ではありません。聖書はあなたの携帯電話、車、家よりも大切な物であり、大事にしなければいけません。聖書も、秘められるものではないのです。
二つ目:暗闇を明らかにする御言葉。皆様は年末年始をどう過ごされたでしょうか。私たちの家では12月31日は大掃除の日です。私はお掃除おじさんに変身します。そして妻の指示、指導を受けます。今年はいつもより大変でした。ブラインドやファンのホコリをふいたり、家中に掃除機をかけたり、すべての窓を洗ったりしました。一番大変だったのはソファの後ろとベッドの下を掃除することでした。
掃除中、見つかるものに何度もびっくりしました。ほとんどが子供たちのおもちゃやレゴでしたが、子供がこぼしたポッキーの先っぽとか、無くしたと思っていた椅子の部品などを見つけました。普段はあまり掃除しないところ、すみっこや隙間に、ライトを照らすと、普段どれだけ掃除していなかったのか、どれだけ汚くなっていたのかが、明らかになります。あとで妻に怒られるといけないので、この話はここまでにしますが、
皆様と以前も共に学びましたが、光は暗闇を照らし、隠れていたものが明らかになります。ルカ8章17節「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはありません。」御言葉は隠れているもの、秘められているものを明るみに出し、暴露させます。暗闇の中に立っている人が、光があるところに近づくと、どうなるでしょうか?その人は明るくされますね。御言葉はあなたの心の奥に隠れている罪と汚れを明らかにしてくださいます。御言葉はあなたの心の奥に隠れている不安や思い煩い、弱さを明らかにしてくださいます。
そして明らかにするだけではなく、あなたが成長しなければいけないところを教え、励まし、導いてくれるのです。御言葉は神の国の奥義を示してくださいます。隠れているもの、秘められているものと聞くと、良いイメージはありません。しかし、素晴らしいことは、神は明るみに出たものを、新しい哀れみ、新しい許し、新しい喜びに変えてくださることです。大切なことは、光に触れること、つまり御言葉に触れることです。御言葉に自分から近づかなければ、御言葉を心に留めなければ、照らされていることに気づかないままなのです。
御言葉は私たちの教えと、戒めと、矯正と義の訓練のため与えられたものです。御言葉を聞く、読む、探ると影響と素晴らしい変化をもたらします。御言葉はただ紙に書かれている言葉ではなく、聖霊の働きにより人を変えます。人を励まします。人を育成します。人を訓練します。
キリストの弟子として成長したい方はいらっしゃるでしょうか?神の奥義を知りたいという方はいらっしゃるでしょうか?2021年、新しい年に、全てを明らかにする御言葉を開きましょう。
三つ目:祝福を備える御言葉。ルカ8章18節「ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」御言葉には祝福がたくさんあり、神はあなたがそれを発見することを待っています。しかし、この箇所には深刻な警告が含まれています。持っている人はさらに与えられる、というのは、聞き方に注意する人、神の御言葉を守って従う人には神の祝福が授けられる。しかし取り上げられる人は聞き方に注意していない人を表しています。神の御言葉の聞き方に十分に注意しなければいけませんね。
御言葉には神の知恵、神の義、私たちへの愛、神の知識、神の悟りが記されていて、人生において必要なものを教えてくれます。御言葉に従う生涯と、従わない生涯には大きな違いがあります。しかし御言葉に満ちた人生に、障害が起きないわけではありません。しかし、御言葉の導きがあること。支えと守りがあること。あなたが愛されていること、を知りながら生きる人生は、どれほど良いでしょうか。
御言葉は光。光は道を照らしてくれる、外れた道や崖から遠ざけてくれる、危険から守ってくれる。光は知恵として、一歩一歩、どこを歩んだら良いのか教えてくれます。つまずかないように、助けてくれます。ゴールに行けるように助けてくれます。その御言葉が書かれている聖書は、私たちのあゆみの光であり、私たちをイエスであるゴールへ導いてくれるのです。クリスチャンの歩みには試練があります。サタンの誘惑もあります。しかし御言葉は正しい道を示し、私たちが迷子にならないように、助けてくれるのです。
ハワイはよくハリケーンが来ますよね。たまに停電になったりします。普段スイッチを入れるだけで明るい電気がつく生活に慣れている私たちは、光のない夜に慣れていません。不便で、心細く感じます。そんな時に強い光を照らしてくれる懐中電灯があれば、どれだけ心強いでしょうか。聖書はいつでも頼れるもので、聖書を開いたらすぐに神様の知恵にアクセスすることができる、神との関係を深めることができる。だから安心して力を得ることができる。心をオープンにして、謙遜な姿勢を持ち御言葉を読むと、素晴らしい祝福を期待することができます。