日曜メッセージ:「今おられ、昔おられ、やがて来られる方」黙示録1章1節〜8節
タイトル:今おられ、昔おられ、やがて来られる方
聖書箇所:黙示録1章1節~8節
黙示録には7つの幸いが記されています。幸いと言えば、詩篇1篇、またはマタイ5章に記されているイエスが山上の説教で語られた8つの幸いが頭に浮かぶかもしれません。幸いとは、私たちの行動や姿勢、状態によって、神の祝福が注がれる、授けられることです。例えばです。マタイに記されている8つの幸いの6つ目にこう記されています。「心の清い物は幸いです。その人たちは神を見るからです。」すなわち、心の清い人、心の純粋な人は神のことを見ることができる祝福が授けられるのです。
今、水曜日の聖書学び会では黙示録を勉強しています。黙示録と聞くと、人によっては「よくわからない」「難しい」というイメージを持っているかもしれませんが、実は黙示録は、クリスチャンの成長とアイデンティティーにとって不可欠な本です。黙示録は地中海にあるパトモス島という所で、使徒ヨハネが目撃した神の幻について書いてあります。黙示とは、私たちには分からなかった真理が神により、明らかにされることです。オリジナルの言葉では「覆いを取り払う」という意味があります。神は黙示録を通して、私たちには見えないもの、私たちにとって未知なものを明らかにしてくださいました。今日の箇所はこの黙示録の序文です。
7つの幸いのうちの一つ目は黙示録1章3節に記されています。「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」今日、皆様とこの一つ目の幸いを学び、信仰生活に適用しましょう。二つのポイントです。1)最後の日に備えるために。2)キリストの栄光を知るために。
1)最後の日に備えるために。私は学生時代、大阪にあるユニバーサルスタジオでアルバイトをしていました。面接の時には、アトラクション、乗り物の所で働きたいと希望を言いましたが、レストランに配置されました。とても良い、楽しい経験でした。ユニバーサルスタジオには私が大好きなBack To The Futureのアトラクションがあります。皆様、覚えているかわかりませんが、この映画の中で、1955年に、未来から来たビフが過去のビフに赤いスポーツ年鑑を渡しました。このGrays Sports Alamanac(スポーツ年鑑)には1950年から2000年の野球・ボクシング・競馬・フットボールの得点や優勝者の情報が記されていて、このような情報を持っていればスポーツ賭博で大金持ちになれることを未来のビフは過去のビフに説明しようとしました。
もし私たちが、将来自分に起こる病気や事故をあらかじめ知ることができると言われたらどうするでしょうか?そんなこと全然知りたくないでしょうか?それとも今から防げることであれば、知りたいと思うでしょうか?もちろん、私たちにとって将来のことは未知です。しかし、神だけは完全にご存知です。神は未来のこと、そして終末の時を備えられています。
そして、神はご自分の愛と憐れみにより、世の終末のことを、私たちに黙示として明らかにしてくださいました。私たちは世の終末に向けて、どのような信仰生活を送れば良いのか、どのような準備ができるのか、用心するべきなのか、を知ることができます。教会としても、どのように準備できるのか、用心するべきなのかわかります。
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」「この預言のことば」は黙示録のことを表しています。預言とは、未来に起こる出来事や事柄をあらかじめに示すことです。黙示録の御言葉を朗読するもの、聞くもの、そして守る者は幸いです。
この箇所の中では、三つの行動、アクションが記されていますね。最初の二つは神の御言葉を朗読する、そして聞くことです。当時、多くの人は文字を読むことができませんでした。当時の本は巻物であり、一つの物を皆で読んでいました。初代教会では、聖書の朗読は信者たちにとってとても重要なことでしたが、み言葉が朗読される場所にわざわざ行かなければ、神のみ言葉、いのちの言葉を聞くことができませんでした。
現代の私たちはとても恵まれていて、一人何冊もの聖書やデジタル聖書を持っています。家で一人で読むこともとても素晴らしいことですが、教会の皆様とともに公に聖書を朗読し、宣言することも私たちの信仰生活に不可欠なことです。私たちは教会として、神の民として、聖書を共に読みます。
神のみ言葉を読み取る、聞き取るだけではなく、守る。「守る」という言葉の原語は、用心する、心に留めて守るという意味が含まれています。神のみ言葉を守ると、神の祝福はあなたの上に注がれます。これは皆様にとってはすでにご存知かもしれません。詩篇1篇に記されているように、主のおしえを喜びとし、昼も夜も そのおしえを口ずさむ人は幸いですよね。しかし、この黙示録1章3節によると、次のフレーズがとても大切です。「時が近づいているからである。」その時が近づいているからこそ、み言葉を朗読し、聞き、従う者として、信仰を育てる必要があるのです。
もし将来のことが先に分かっていれば、準備をすることができます。ノアの時の洪水が来る前は、世の中の人々は食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだりして、迫っている終末の出来事を気に留めていませんでした。現代でも、多くの人々は目の前にある物事しか考えることができません。しかし、あなたはみ言葉を通して、終末の出来事をきっちりと気に留め、大切なこと、大切ではないことを知っているので、準備をすることができます。
今日の箇所の一つ目、なぜ私たちは幸いなのでしょうか?まず、新たな目的が与えられます。あなたは時が近づいていることを知っているので、行動を変えることができます。価値観が変わります。生活の迎え方が変わります。時間の使い方が変わります。人間関係を大切にするようになります。二つ目は患難の時のために準備ができます。イエスの到来に先立つ患難は厳しくて恐ろしい時であり、私たちには忍耐が必要です。その忍耐を育むためには、一つ目の幸いに記されているように、御言葉を守り、心に留めることが必要です。
2)キリストの栄光を知るために。時が近づく中、私たち一人一人はイエスから目を離さないように、彼のあとを着いて行き、彼の模範から倣うことが実に必要です。しっかりとイエスのうちに留まり、イエスから離れないように、イエスとの関係を深める努力をします。
黙示録の中で、一番フォーカスされるべきはキリストの栄光です。黙示録の中心に立つのはイエスであります。先週、皆様と学んだように、イエスは最後の日の裁きで不可欠な役割を持っておられます。イエスは裁きます。イエスは新しくします。イエスは悪とサタンを打ち砕きます。イエスは全ての被造物を支配されます。
今日の箇所の中でも、イエスの栄光が輝く箇所がたくさん記されています。一つずつ見てきましょう。まず最初にイエスは全ての支配者です。黙示録1章5節「確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。」ここで質問です。あなたはイエスの支配下にあるでしょうか?イエスはあらゆる国々、あらゆる主権、あらゆる政権の上に立つお方です。イエスは当時のローマ帝国の皇帝の支配者であり、現代の政府の支配者でもあります。
使徒ヨハネは黙示録の7章で私たちには想像できない数え切れないほどの大勢の群衆がイエスを崇める幻を見ました。この大勢の群衆は全ての国民、全ての部族や民族、全ての言葉を話す人が含まれています。イエスの支配は全ての人に影響します。そして、終末の時が近づく間、私たちはイエスの支配下にあるように、自分の心を確認しなければいけません。
イエスの栄光が輝く箇所の二つ目、イエスは全てをまさる名を持っておられますが、ご自分の血を流され、大きな犠牲を払われました。黙示録1章5節後半~6節「私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。」
イエスは雲と共に来られる。黙示録1章7節「見よ、その方は雲とともに来られる。 すべての目が彼を見る。 彼を突き刺した者たちさえも。 地のすべての部族は 彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。 しかり、アーメン。」栄光と力が満ちたイエスは御使と共に来られます。イエスが来られる時、全ての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しみます。イエスの到来は義、救い、公正を伴いますが、同時に裁きも伴います。イエスの偉大な栄光と力により、全ての人がイエスのことを恐れ敬います。
イエスは永遠に存在されるお方です。黙示録1章8節「神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」黙示録によると、神に使われる表現や名称がイエスにも使われます。「今おられ、昔おられ、やがて来られる方」は旧約聖書の中で明らかになった神の聖なる名です。出エジプト記3章14章、神は燃えている柴の中から、モーゼにご自分の聖なる名を明らかされました。「わたしは『わたしはある』という者である。」すなわち、神は永遠に存在する。神に始まりと終わりは無く、神がおられなかった時、神がおられない時はありません。
アルファとオメガはギリシャ語のアルファベットの最初の文字と最後の文字です。日本語でしたら、「あ」と「ん」ですね。黙示録の中でイエスは「初めであり、終わりである」お方であると記されています。この表現は最初と最後を表しますが、アルファとオメガの間にある文字を含めます。イエスは最初と最後だけではなく、その中間もそうです。イエスは全ての歴史の上に立つお方であり、永遠に権威を持っておられます。神は全ての能力、全ての力、全ての権威、全ての栄光、全誉れをお持ちであるお方です。
しかし、神が今おられ、昔おられ、やがて来られることは、私たちの信仰生活にとってとても重要なことです。イエスはあなたの人生の1日目から、人生の最後の日まで、そしてその中間である今でも全権威、全栄光を持っておられます。