日曜メッセージ:祈り

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献身シリーズ:祈り

聖書箇所:使徒2章42節~47節

本日は献身シリーズの最後のメッセージです。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2章42節)初代教会が行っていたことのうち最後の祈りを学びます。祈りはキリスト者として重要な行いです。まず最初に祈りとは何でしょうか?クリスチャンにとっての祈りを一言で言うと「神と人との交わり」です。

現代、ほとんどの人は携帯電話、スマートフォンを持っています。スマートフォンは便利ですよね。簡単に人と連絡を取ることができます。例えて言うと、祈りは携帯電話のような物とも言えます。キリスト者は祈りを通して、神と交わります、話すことができます。神はご自身の愛と哀れみにより、私たちとのコミュニケーションをオープンにしてくださいました。

スマートフォンは電波が悪くなったり、電池が切れたり、古くなったり壊れて、使えなかったりします。しかし、祈りは、ただ心を静めて、神に語り掛けるだけで、いつでも、どこでも祈ることができます。万物の創造者である、主権を持って全てを導く神は私たちの祈りをいつも聞いてくださっているのです。信じられないですね。なんと大きな愛でしょうか?

祈りは神に対しての感謝と誉れを表現するもの。神は良いお方です。神は礼拝されるべきお方です。祈りの中では自分の願い事も表しますが、神に感謝と賛美と礼拝を表すことも忘れてはいけません。私たちは自分の悩みや思い煩いも祈りを通して神に伝えることができます。私たちが今感じている悲しみ、悩み、辛さ、そのようなことをすべて神に対して正直に明かし、助けを求めることができるのです。

祈りというテーマは大きく、今日のメッセージで全てをカバーすることはできませんが、二つのテーマに集中したいと思います。一つ目:初代教会の祈り。二つ目:祈りの方法。

一つ目:初代教会の祈り。初代教会の信者たちはいつも、献身的に祈りをしていた。初代教会の中では祈りは信仰生活の中心でした。初代教会の働きなどを描いている、使徒の働きの書を読むと、祈りを中心にしていたことがよくわかります。弟子たちは祈っていた、信者たちは祈っていた、使徒たちは祈っていたと何度も繰り返されています。初代教会はどのような形で、何のために祈っていたのか。使徒の働きの中のいくつかの祈りのエピソードを皆様と学びたいと思います。そして、祈りのエピソードを通して、私たちは何を学ぶべきなのか、そしてそれをどう実行するべきなのかを考えましょう。

初代教会が常に祈っていたことがわかる箇所の一つ、使徒1章14節「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」イエスが蘇られた後、弟子たちはこれからどうしたら良いのか悩んでいたことでしょう。イエスが約束された、聖霊はいつ満たされるのか、不安だったでしょう。不安だったからこそ、弟子たち皆で集まって、心を一つにして祈りました。ここでハイライトしたいことは彼らは皆で祈っていたこと、そして、心を一つにして祈っていたことです。

一人で祈ることは大切です。イエスはよく皆から離れて一人になり、父なる神に祈っていました。寂しいところに退いてよく祈っておられたのです。イエスはいつも人に囲まれていたので、意識的に静かなところに退かれたのでしょう。イエスにとって父なる神と交わることは不可欠なことでした。イエスは神の御心を知るために、神の助けを求めるために祈っていたでしょう。イエスが一人になり、祈る行為は私たちにとってとても大切な模範です。

皆様は如何でしょうか?神と交わる時間を持つことはできているでしょうか?家族や周りの人たちに囲まれて、神と交わる時間をなかなか持つことができないでいるでしょうか?逆に、一人の時間が多いからと言って、神と交わる時間が十分に持てているわけではありません。神と交わるためには静かな場所が必要です。気を散らす物を全て排除しなければいけません。テレビでしょうか?携帯電話でしょうか?神は私たちの完全なフォーカスに値するお方です。そして私たちは心を静めます。神と交わる時は、頭の中の雑念(ざつねん)を取り払ってクリアにして、神との交わりにフォーカスします。実際に人と話す時には、目の前の人との話に集中しますよね。神は私たちのフォーカスに値するお方ではないでしょうか?

また、弟子たちが皆で祈っていたように、共に祈ることも大切です。初代教会の弟子たちはいつも心を一つにして祈っていました。キリストにある兄弟姉妹とともに祈ることは私たちの信仰生活にとって重要なことです。共に祈ることで、互いのためにとりなしをすることができます。互いの励ましと力にもなります。

私の心からの願いは、私たち日語部がみなで心を一つにして祈ることです。教会が一つになって、一つの祈りを捧げることで、神は祈りを聞いてくださり、果たしてくださるでしょう。私たちが一つになって祈ると神は大きな働きを行われるでしょう。

次のエピソードは初代教会の信者たちが集って祈った時です。使徒4章に記されています。彼らは大胆に祈っていた。使徒ペテロとヨハネはユダヤ人の指導者たち、長老たち、律法学者たちの尋問を受け、イエスのことを語ってはいけないと脅迫されました。しかし、その後、ペテロとヨハネ、そして信者たちは心を一つにして祈りました。使徒4章29節~30節「 主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。 また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」

初代教会のクリスチャンは迫害に直面した時、何のために祈ったのでしょうか?神の御言葉を大胆に語ることができるために。神が御手を伸ばし、弟子たちを通して働いてくださるために。そして、神はその祈りをお聞きになり、大きな働きを行われました。使徒4章31節「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」弟子たちが祈った後、彼らが集っていた場所が動き、聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語り出した。彼らは、律法学者や指導者たちからの大きなプレッシャーがありましたが、それを乗り越えられるように、神は彼らを聖霊で満たし、力を与えられました。普通では、恐れで動けなくなるような時でも、祈りを通して神は動いてくださったのです。教会が心を一つにして祈るとき、神は大きな働きを果たされます。

これは素晴らしい模範です。しもべである私たちも、御言葉を大胆に語ることができるように、神がしもべである私たちを通して御手を伸ばしてくださるように、祈りましょう。それも大胆に祈りましょう。大胆に祈ることは大切です。神にとって、難しいことは何一つありません。人が救われるように、教会が成長するように、神の大きな働きが行われるように大胆に祈りましょう。

大胆に祈る大切さの例をもう一つ紹介します。聖書の中には、弱いものたち、不利な立場の人たちが祈り、神がそれを聞いて動かれた例がたくさんあります。神にとって誰が、どのように祈るのか、どれだけ祈るのかにかかわらず、純粋に神の御心を探り求める人の祈りを聞いてくださります。何週間か前にネヘミヤの話をしました。ネヘミヤは旧約聖書の時代、ユダヤ人の離散の時に登場しました。イスラエルはバビロン国に征服され、捕囚され、多くの人は母国から追い出されました。

それからおよそ50年が経ち、イスラエル人は母国へ戻りたいと、そして、国を建て上げたいと言いました。ネヘミヤは人々の言葉を聞き、彼は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈りました。この祈りはネヘミヤ書の1章に記されていて、とても素晴らしい祈りです。母国に戻るためには当時ペルシアの王だあったアルタクセルクセスの許可が必要でした。

ネヘミヤは神に祈りました。ネヘミヤ1章11節。「ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」ネヘミヤはアルタクセルクセスから許可をもらえるよう祈りました。そして、何と奇跡的に彼はネヘミヤに母国に帰っても良いと許可を出しました。祈りの効果を私たちがコントロールすることはできません。しかしどんな祈りでも、ネヘミヤが祈った大きな祈りから、明日の糧が与えられるような祈りでも、神は聞いてくださいます。

二つ目:祈りの方法。祈ることが苦手、という人をよく聞きます。言葉が出ない、何を祈ったらいいのか分からない。大丈夫です。実は祈りはとてもシンプルで、神とコミュニケーションを取る、話す、という手段です。スムーズで、難しい言葉がたくさん並んでいる、プロっている祈りを聞くことがありますね。しかしそういうことは重要ではありません。祈りについては、聖書の中にガイドラインのようなものはありますが、決まったルールはありません。神が一番に求めていることは、複雑な祈りや難しい言葉ではなくて、純粋な神のみ心を求める祈りです。

イエスが祈りの方法に関して、教えたことのうち二つは、山上の教えに記されています。一つは、人に見えるように祈らないこと、そして祈る時は隠れて祈ること。なぜなら神は純粋な心を求めているからです。イエスの時代、ユダヤ教の指導者や律法学者たちはよく、会堂や大通りで立って祈り、そしてまた異邦人たちは難しい同じ言葉を繰り返したり、長く祈ることが良いことだと思っていました。外見は、とても霊的に成熟しているように見えます。しかし神が求めていたことはそうではなかったのです。

神は祈り方の例も、具体的に教えてくださいました。それが主の祈りです(マタイ6章9節~13節)この祈りは構成、ストラクチャーであり、私たちはこの祈りを基礎として、日々祈ることができます。

  • まず最初に神に賛美を表します。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。」 私たちは誰に宛てて、祈るのか。父なる神へ祈りを捧げます。そして、神の権威と栄光が現されるように、ご計画がはたされるように祈ります。「御国が来ますように。 みこころが天で行われるように、 地でも行われますように。」

  • 次に自分の必要のために祈ります。自分のために祈ることは自己中心的だと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、神は自分のためにも祈りなさいと、教えてくださっています。「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」主は全てを与えられる方です。

  • 次に告白。「私たちの負い目をお赦しください。 私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」

  • 最後に守り。私たちを試みにあわせないで、 悪からお救いください。』