日曜メッセージ:「ひとつの体」エペソ4章1節〜16節

聖書箇所:エペソ4章1節~16節

タイトル:ひとつの体

神の家族のメッセージシリーズを続けています。エペソを簡単に分けると、1章から3章は主に教義的な教えです。キリストは誰なのか、キリストは何を成し遂げられたのか、教会とは何なのか。そしてエペソ4章からは実践です。私たちは救われたものとして、教会として、どのような信仰生活を迎えたら良いのか。今日の箇所は教会生活に関して詳しく説明しています。教会の中で互いに対して、どのような態度を持つのか。教会の働きとは何なのか。教会の目的は何なのか。教会に関する重要な質問の答えが記されています。

私は小さい時から家族と教会に通い始めました。以前にも私の証をシェアしたことがありますが、私はいつもひとりという想いを持ちながら育ちました。社会に馴染めない、学校に馴染めない。友達はいましたが、心の中の孤独感から逃れることができませんでした。しかしクリスチャンになり、教会のために仕えるようになって、初めてキリストにある真の家族愛、仲間意識を経験しました。

私は今まで、様々な教会に属したり、勤めたりしたことがありますが、教会がない、教会に行かない人生を想像することができません。クリスチャンイコール教会と共に歩む、教会と共に成長する、教会と共に悲しみ、喜ぶ。しかし、教会は完璧ではありません。残念ながら、教会の人に傷つけられたこと、否定されたことがある方がいらっしゃるかもしれません。しかしそれがあったからといって、教会全体を非難することは、少し違います。教会は罪人の集まりです。罪人が集まると、残念ながら問題が発生するのが普通です。

「神の家族」のシリーズのゴールは教会の目的や構成を深く知ることだけではありません。このシリーズのゴールは教会に対する愛を深めることです。三つのポイントです。1)平和の絆で結ばれひとつのからだを保つ。2)手を組んでキリストのからだを建て上げる。3)教会としてキリストに向かって共に成長する。

1)平和の絆で結ばれひとつのからだを保つ。エペソ4章1節「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」この召された召し、とは、今までエペソの中で読んできた、2章や3章に書いてることを指しています。あなたが神の恵みのゆえに救われたこと。イエスから天上にある全ての霊的祝福を注がれていること。そしてキリストが全ての隔たりの壁を打ち壊され、神はあなたをからだの一部として、聖なる宮である教会を築き上げられていること。これは重大な召しですね。大きな責任ですね。パウロはこの召しに相応しく歩みなさいと語っています。この召しを全うすることが難しいと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、実はシンプルです。キーワードは愛です。

エペソ4章2節~3節「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。」私たちは召されたその召しを全うするために、謙遜と柔和、寛容、愛、忍耐、平和と一致を共に育みます。

日本のことをよく知っている方は「謙遜」という言葉を聞いても、違和感を感じませんよね。謙遜は日本の社会に根付いている文化です。しかしこの当時、ギリシャ人とローマ人は謙遜という感覚を持っていませんでした。彼らは誇る傾向を持っていたので、謙遜は忌まわしいと思われていました。しかし、パウロはまず最初に、互いに対して謙遜な態度を表しなさいと言います。

御霊は一致を成立されますが、私たちはその一致を保たなければいけません。「全ての隔ての壁が壊されました。はい、おしまい。」ではなく、その一致を熱心に保たなければいけません。家族のことを考えてみましょう。現代の家族は共働き、子供の学校やクラブは忙しくて、家族がバラバラになりがちです。一緒にご飯を食べなくなったり、週末は別行動で、ほぼ話しをしない、時間を共に過ごさない状況に簡単になってしまいます。アメリカで行われた研究結果によると、1日に当たり夫婦が話し合う時間は4分弱だそうです。夫婦、家族は心を尽くして、熱心に一致を保たなければいけません。そうしなければ、家庭にひびが入り、崩壊してしまうことは簡単です。

教会も同じです。私たちは教会として熱心に一致を保ちます。謙遜を持って一致を保ちます。寛容を示して、一致を保ちます。忍耐を持って一致を保ちます。一致がなければ、フォーカスを失ってしまって影響力のない、力のない教会になってしまいます。

私たち一人一人は全く違って唯一の存在です。バックグラウンド、経験、個性、仕事。しかし、私たちにとって共通していることは、私たちは互いを補いあっている、ということです。エペソ4章4節~6節「あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。」私たちのクリスチャンとしてのアイデンティティーには共通点があります。私たちはひとつの信仰と希望を持ち、ひとつのバプテスマを受けました。私たちは唯一の神を礼拝し、唯一の聖霊に導かれていルコとも私たちの共通点です。

2)手を組んでキリストのからだを建て上げる。エペソ4章7節「しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。」キリストご自身が私たちひとりひとりに恵みの賜物を与えられました。あなたにはもてなしの賜物。あなたには伝道の賜物。あなたには音楽の賜物。あなたには祈りの賜物など。キリストの賜物の量りにに従って、ひとりひとりに特別な賜物を授けられました。私には賜物が無いと思う方がいらっしゃるかもしれません。私は役に立たない。しかしそれはサタンの偽りです。キリストは一人一人、誰も逃さず賜物を与えられました。c私たちは、神に委ねられた賜物を見つけ、生かし、実行しなければいけません。管理者

賜物とはキリストの体である教会を建て上げるものです。賜物についてより深く理解するために、ひとつの考え方をシェアします。それは頭文字を取ったSHAPEという言葉です。SはSpiritual Gifts(霊的賜物)、Hはheart(心、意欲、私はどのような興味を持っているのか)。AはAbilities(能力、できること、私は何が得意なのか)。PはPersonality(人柄、人前に出るのが好き、もしくは裏方の方が好き、など)。EはExperiences(経験、私は過去にどんな経験をしたのか)。

この五つのカテゴリーを考慮すると、神があなたのことをどう用いられたいのか明確になってきます。教会の兄弟姉妹に、私にはどんな賜物があると思う?と聞いてみるのも良いでしょう。人から見た、客観的な意見が聞けるかもしれません。あなたはユニークです。あなたは神の知恵により創造され、特別な賜物を与えられ、あなたを用いられています。人生の時期や経験により、あなたの賜物が変化したり、新しい賜物が与えられたりすることもあります。ひとつ大事なことは、霊的賜物は、自分が豊かになったり楽しんだりするために与えられたものではなく、常に人のために使われる、ということです。

そして、神は私たちを組み合わせて、この教会を立て上げられています。あなたは偶然この教会に導かれたわけではありません。神はご自分のご計画により、あなたをこの教会に導かれました。この教会を強めるために、立て上げるために、成長させるために。聖書の中では、からだという言葉で教会を例えています。有名な箇所のひとつは第一コリント12章です。からだにはさまざまな部分がありますよね。手、足、目、耳。からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成りたっています。どの部分も必要です。神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。

エペソ4章11節~12節「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」この箇所には5つの職、ポジションが記されています。これは完全なリストではありません。ローマ12章、第一コリント12章、第一ペテロ4章にも似ているようなリストがあります。彼らの役割は人の賜物を整えて、生かすことです。この整える、とは当時の言葉で、トレーニングする、訓練することを示しています。そしてその目的はキリストの教会を建て上げることです。教会は聖徒をトレーニングして、神の働き手として、悪を砕き、神の国の働きの前進のために尽くします。

牧師と考えると、どんなイメージがあるでしょうか。ずっーとひとりで部屋にこもって聖書を読んで祈っている人、弱い人や苦しんでいる人を助ける人、メッセージをする人。これはどれも間違っていません。私は牧師として、教会を導き、守る役割を持っていますが、私にとってとても大切な仕事は聖徒たちを整える仕事です。

私たちは一人も漏れず共に教会を建てあげます。牧師一人で教会を建てあげているのではありません。牧師は人を整え、皆とキリストのからだの成長のために働きます。先生祈ってください。み言葉をシェアしてくださいと言われる時があります。これは素晴らしい特権で、私は喜んで祈ります。そして共に祈りましょう。牧師は祈ることができますが、あなたも祈ることができます。牧師は人を助けることができますが、あなたも人を助けることができます。

エペソ4章13節「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」私たちは手を組んでひとつとなります。子供は簡単に惑わされたり、喧嘩をしたりします。しかし、私たちは子供とは違って、成熟な大人になることができるように、成長します。

3)教会としてキリストに向かって共に成長する。エペソ4章15節~16節「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」キリストの満ち満ちたみたけにまで達すること、キリストに向かって成長することはイエスの愛、恵み、憐れみを教会の中で育むことです。これがキリストのからだである目的で、キリストに向かって成長します。キリストは教会のかしらです。成長するためには、からだ全体が組み合わされ、つなぎ合わされ、育たなければなりません。この教会が成長するためには、教会のひとりひとり、あなたの賜物を働かせないと、成長することができません。

そして最後に、あらゆる部分を組み合わせるものは愛です。私たちは互いに愛を示すことでひとつになることができます。愛は教会の接着剤です。愛は教会の基礎です。愛が無ければ、教会を建てることはできません。