日曜メッセージ:「古い私、新しい私」エペソ4章17節〜32節

タイトル:古い私、新しい私

聖書箇所:エペソ4章17節~32節

私は高校生の時、髪の毛を肩まで伸ばしていました。当時、サッカーとロックミュージックにハマっていて、サッカー選手とロックミュージシャンの中ではロングヘアーが流行りのスタイルだったので、それに影響され、髪の毛を伸ばしていました。最近日本の若者の中で流行っている表現、黒歴史、をご存知でしょうか?これはもともとアニメ作品「ガンダム」に登場する用語で、「なかった事にしたいことにしたい自分の過去」という意味のスラングとして使われています。私は過去の私のことを思うたびに、「恥ずかしいことをしていたな~、なんであんなに髪の毛を伸ばしていたのかな~」と感じます。

キリスト者の人生は、簡単に言いますと、二つの期間に区別することができます。キリストを信じる前の人生とキリストを信じた後の人生。古い私と新しい私。人が、キリストのことを心の中で信じる決心をすると、その瞬間から全てが変わります。新しい人生が始まります。罪から救われます。永遠の命が授けられます。イエスの弟子として、新しい人生を歩みます。神のために生きます。新しい価値観、プライオリティー、生き方を迎えます。

キリスト者は古い自分として歩みません。新しい自分として歩みます。キリスト者は暗闇の中を歩みません。キリスト者は光の中を歩みます。キリスト者は新しい人として、義と聖を持って、新しくされ続けます。クリスチャンになってから1年経っていても、40年経っていても同じです。私たちは共に、聖霊の力によって新しくされ続けるのです。

パウロはエペソ人への手紙の4章で、神学的な教義から実践の教えと移ります。パウロはクリスチャンとして、私たちはどのように歩むべきなのか、どのようにキリストにある兄弟姉妹との関係を築き、教会を建て上げるのか、具体的に教えてくれます。四つのポイントです。1)古い私として歩まない。2)新しい私として歩む。3)愛を持って真理を語る。4)互いに優しい心を示す。

1)古い私として歩まない。例えば、結婚の誓約によって、人生のプライオリティー、価値観、過ごし方が変わりますよね。ジングルのライフスタイルから夫婦のライフスタイル、夫と妻として結ばれ、二人をひとつとして歩みます。シングルのライフスタイルと変わらないままで、夫婦生活を迎えると、大変なことになってしまいますね。毎日冷凍ピザを食べることはできません。トイレのシートを上げたままにするとダメですね。夫婦として生活するので、互いのことを配慮しつつ、ケアします。

新しいところに住むことも同じです。例えば、日本での住み方とアメリカの暮らし方は全然違います。アメリカでは大都市を除いて、車で移動する所が多いので、車の運転に慣れないといけません。またアメリカは個性が強い人が多いので、自分の意見や考えをはっきり主張しなければいけません。

あなたはクリスチャンになる前の人生を覚えていらっしゃいますか?私は孤独で、目的がありませんでした。私は自分の欲求を満たすためにだけ生きていて、いつも人を心配させ、迷惑をかけていました。私はもうそのような生活には戻りたくないです。皆様はいかがでしょうか?

エペソ4章17節「ですから私は言います。主にあって厳かに勧めます。あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」今まで、エペソの中で、あなたはキリストにあって救われた、新しくされた、神の子とされたことを学びました。キリスト者として新しい召しが与えれました。しかし、私たちは新しくされたことを忘れる傾向があります。気がつくと、私たちは過去の生き方や習慣に戻ってしまっているのです。イエスから離れてしまって、以前の自分、古い自分が出てきてしまいます。パウロは主にあって厳かに勧めます。あなたは古い自分として歩むのではなく、新しい自分として歩みなさい。

パウロはここの箇所ではエペソにいる異邦人に語っています。異邦人とはユダヤ人ではない、一般の人、ギリシャ人やローマ人を表しています。彼らは神に無関心な生き方をしていました。パウロによると、古い自分はむなしい心、知性において暗い、神から遠く離れ、無感覚、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪る。しかし、キリスト者になってからは、私たちは全く新しい人生を迎えました。

エペソ4章22節~24節「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」ここでは服装のような例え方をしています。キリスト者は古い服を脱いで、新しい服を着ます。この前、シャツが古くなったので、久しぶりにユニクロを訪れました。私はユニクロが大好きです。ユニクロの服の素材は良いですよね。古くなった服を脱ぎ、新しい服に着替えると新しい気持ちになります。

2)新しい私として歩む。私は古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を着ます。このトランジッションはキリストの血、神の恵みのゆえに可能です。古い自分から新しい自分になるのを、自分の力で達成する事はできません。これは精神的な、気持ちの変化ではありません。新しい考え方や観点を持つことではありません。この変化は霊的であり、根本的です。聖霊の力により、あなたの霊と心は、新しくされました。あなたは新しく造られたので、新しいあなたとして歩みなさい。

エペソ4章24節に、「真理に基づく義と聖を持って神にかたどり造られた新しい人を着る」と記されいます。あなたは神のかたちとして創造されましたが、罪により、そのかたちがゆがんでしまいました。これは聖書の一番最初の本、創世記によりわかります。神は人を完璧なかたちで創造されましたが、罪により、そのかたちが堕落してしまいました。私たちはイエスの血によって新しくされ、神のかたちに戻されますが、私たちは新しい自分を生かし続けなければいけません。新しい自分を実行し続けなければいけません。私たちは成長し続けます。新くされ続けます。義と聖を育成させ続けます。

このようにキリスト者が継続的に、一歩一歩、義なる者、聖なる者として成長していく過程を、聖なるの聖に、変化の化と書いて「聖化」と言います。義と聖の中で成長していくためには、常に新しい服を着ます。毎日、洗濯をした新しい服を着るように、私たちは毎日、新しい自分を選んで、生かします。「神がいつも私と共におられるので、私は恐怖ではなく、勝利者として歩みます。」「神は私の罪を取り除いてくださったので、私は罪悪感をすて、神の子として歩みます。」「私はイエスの弟子として歩んでいるので、自分の欲望を満たすのではなく、イエスのために生きる」

そうは言っても過去の自分に戻ってしまう時もあるかもしれません。でも大丈夫です。一歩進むことができたと思ったら、二歩後ろへ倒れるかもしれません。それでも大丈夫です。その都度神に助けを求めて、新しい自分を宣言して、また一歩前に進めるように努力すればいいのです。聖化は過程です。たった一夜で義と聖を育むことはできませんが、神はあなたのことをイエスの似姿に練って造られています。

3)愛を持って真理を語る。私は大学生のとき、カリフォルニアの一つの大きな教会を訪れました。今でも印象に残っています。この教会の名前はサンダル教会でした。日本語に訳するとスリッパ教会。教会なのに何故スリッパなのか?彼らのモットーは “Be real with God, be real with one another”「ありのままに神を礼拝する、ありのままに共に生きる」でした。愛を持って語ることは正直に、うらおもて無しで語ることです。

エペソ4章25節「ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。」神のかたちを生かすためには互いの助けと力が必要です。前にも言いましたが、クリスチャンは一人では歩みません。私たちは新しい者として教会生活を迎えます。私たちは一つのからだとして、共に成長します。教会の成長にとって一番大切な事は、健康な人間関係です。キリストが中心である関係。互いを愛する関係。教会の中の関係に争いや不和があるとしたら、教会のキリストの体にヒビが入ってしまい、教会が不安定になってしまいます。

言葉は大きな力を持っています。言葉は教会を強めることができるし、弱めることもできます。私たちは人に、祝福と励ましの言葉を告げることができるし、 人を傷つけることもできます。ヤコブ3章9節~10節「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。」

私たちは語るとき、愛を選ぶことができます。新しい人として、義と聖を持って愛の言葉を選びましょう。励ましの言葉を選びましょう。正直な言葉を選びましょう。兄弟姉妹を築き上げる言葉を選びましょう。エペソ4章29節に記されているように、人の成長に役立つ言葉、恵を与える言葉を選びましょう。

さらに、私たちは怒りではなく、愛を選びます。エペソ4章26節~27節「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」友人関係、家族関係の中でこれはとても大切です。家族の中で問題が発生し、その問題が解決されないままなら、問題はどんどん膨らんでしまいます。始まりは小さな問題だったのに、大げんかに繋がってしまいます。

教会の中でも、怒りがおさまらなかったら、怒りは憤りと恨みになってしまいます。普段、怒りは謝るとすぐに解決することができますが、その怒りが恨みになってしまうと、その気持ちは心の底に埋まり、何年も残ってしまうものです。悪魔は教会の崩壊させるために働いています。教会を守るため、キリストにある兄弟姉妹を守るため、自分を守るために、怒りを感じたら、できるだけ早く和解を追求しましょう。そうしないと、私たちはキリストのからだとして、共に成長することができません。

4)互いに優しい心を示す。私たちは新しい態度を着ます。私たちは一切の悪意を捨て去ります。エペソ4章31節~32節「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」私たちの模範はキリストです。