日曜メッセージ:「良い牧者と羊」(The Good Shepherd And His Sheep)
テーマ:「良い牧者と羊」(The Good Shepherd And His Sheep)
聖書箇所:ヨハネ10章1節〜18節
皆様、如何お過ごしでしょうか?
私が育った神戸の教会に長年いた牧師は、ニュージーランド出身でした。皆様、ご存知かもしれませんが、ニュージーランドには約3000万匹もの羊がいるそうです。ニュージーランドの人口はおよそ480万人。ということは、1人のニュージーランド人に6匹の羊がいる計算になります。
聖書の中で人間はよく、羊に例えられていることにお気づきになったでしょうか。羊はハワイではあまり身近な動物ではないですが、聖書の時代の土地や人々にとってはとても身近な家畜でした。聖書の中にはよく羊を使った教えや例え話が出てきます。聖書の時代の人々にとっては、羊の例えは理解しやすいものでありました。
さて、今日のメッセージは二つの「私は」宣言についてお話しします。一つは「わたしは羊たちの門です」(ヨハネ10章7節)、そして二つ目は「私は良い牧者」。この二つの箇所でもイエスは羊飼いの比喩的表現を用いています。今日の聖書箇所に登場する三人(と匹)の登場人物を通して、イエスが羊の門であること、そして良い牧者であることを学びましょう。三つの登場人物は「羊」、「侵入者、泥棒、狼」、そして「良い牧者」です。
一つ目の登場人物、登場動物ですね。それは羊です。この箇所で羊は群衆として例えられています。ハワイではあまり羊に触れる機会がありませんが、羊と人間は様々な点で似ていると言われています。その中でも5つを簡単にご紹介します。
羊は群れで生活する。羊は非常に群れたがり、群れから引き離されると強いストレスを受けるのだそう。一人では生きていくことの出来ない人間や人間社会と似ている。「人間」という漢字は、「人の間」と書くように、人の間に住み、支え合って生きているものだということが表されています。
羊は無防備な動物。羊は、他の動物のように武器と言えるものを持っていません。角を持つ種類の羊もいますが、相手を攻撃するための牙や爪、足の速さと言った武器を持っていません。ですから、敵に遭遇した時には、多くの羊は闘うことなく、ただ食べられておしまい、ということになります。人間の体も、自分を守るための武器と言える物は備わっていません。
羊はストレスに弱く、臆病である。羊はちょっとした物音などに敏感で、びっくりすると散り散りに逃げてしまいます。耐えられない強いストレスがあると、外傷などはなくても実際にショックで死んでしまうこともあるそうです。
先導者について行く傾向がある。羊は先導者についていく傾向がとても強く、みんなでぞろぞろと動きます。その先導者は単に最初に動いたヒツジであったりもするようで、先導者を間違えてしまうこともあります。
羊は意外に賢い。最近の研究で、人間や他のヒツジの顔を何年も記憶できるということも分かって来ました。ただ可愛いだけでなく、賢い動物です。
羊は群れで生活する。現在、私たちは新型コロナウイルスの影響で隔離状態にあります。他人とは接触できず、集会などを開くこともできません。結果、多かれ少なかれ孤独感や不安を感じている人がほとんどではないでしょうか。
聖書では何度も、人間関係を大切にするように教えています。互いを助けるように、互いのために祈るように、互いを愛するように、互いを励ますように、と繰り返しています。現在、私たちは人と直接会うことはできません。しかし神は、私たちが他人と交わるためのたくさんの方法を与えてくださっています。電話、手紙、メール、ソーシャルメディア、フェイスタイムなどで離れていても、繋がっていられる時代です。私たちは今までと変わらずキリストにある兄弟姉妹を励まし合いましょう。この時間を無駄にせず、互いの信仰を養い合い、互いのために祈り合いましょう。ヘブル10章24節〜25節です。「また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。」1
羊の話に戻りますが、羊は無防備である。先ほどお話ししたように、人間は自分を守る武器を備えていません。私たちは「自分は強い」と思っていても、ひとたび試練やストレスが襲ってきたら、精神的にも肉体的にもその思い込みは簡単に覆されてしまいます。今回の新型コロナウィルスでも、そのことは明らかです。私たちは肉体的にも、霊的にも無防備です。危険から守ってくれる人、正しい方向に導いてくれる人、私たちを養ってくれる人が必要です。
二人目の登場人物は侵入者、泥棒、狼です。ここでなんと、律法学者とパリサイ人は侵入者、泥棒、狼と例えられています。厳しい批判だと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、イエスは彼らの本心を明らかにしました。
聖書の中では王や君主、指導者のことも羊飼いに例えられています。そして、指導者は神に特別に選ばれた人である、という考え方がありました。しかし、多くの指導者はその神に与えられた権威を乱用しました。旧約聖書のエゼキエル34章は神の民であるイスラエルに対して権威を乱用する指導者たちを非難する箇所です。エゼキエル書34章には、悪い羊飼いに対して裁きを告げるエゼキエルの預言が記されています。
エゼキエル34章2節。「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、牧者である彼らに言え。『神である主はこう言われる。わざわいだ。自分を養っているイスラエルの牧者たち。牧者が養わなければならないのは羊ではないか。」この預言によると、牧者たちは弱った羊を強めず、病気の羊を癒やさず、傷ついた羊を介抱せず、追いやられた羊を連れ戻さず、失われた羊を捜さず、彼らを支配しました。
イエスは同じように律法学者とパリサイ人を批判しました。イエスによると、律法学者はどのように羊を扱っているのでしょうか?彼らは羊から盗む、羊を滅ぼす、羊を散らす。
私たちの住んでいる世界は情報で溢れています。信用できる情報もあれば、人々を欺く、間違った情報も流れています。間違った情報を信じてしまうと、うっかり騙されてしまうのです。イエスは人が羊のように、簡単に騙されてしまうこと、そして先導者について行く傾向があることをご存知でした。
では、あなたの先頭に立っているのは誰でしょうか?イエスは、弟子たちに語られたのと同じように、私たちにも語られています、「私について来なさい。」今の混乱した世の中、私たちは今まで以上にしっかりとイエスの後について行く必要があります。
最後の登場人物は「良い牧者」。ヨハネ10章10節です。「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」イエスは泥棒と違って、羊、すなわち私たちに命を授けるために来られました。イエスは良い牧者です。どうして良い牧者なのかを見ていきましょう。
一つ目の理由。それは羊を熟知している牧者だからです。単に知っている、だけではありません。その基礎には愛があります。イエスは一人一人の羊を心から愛し、知っておられます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。イエスはあなたの髪の毛の数さえ知っておられます。イエスはあなたの必要、あなたの不安をすべてご存知であります。そして羊が1匹でも失われてしまったら、その1匹の羊を探しに行って下さいます。
詩篇23篇。この詩編をよく見てください。何度も「私」という言葉が使われていますね。ダビデは主を、「私の」主と言っています。本来なら私たちからは手の届かないような存在だった、全知全能で、全てを治める神を私の主と呼ぶことができるのは、驚くべき特権です。それだけでなく、神は私たちのことを神の子と呼んでくださり、私たちは神を父と呼ぶことができます。
主はご自分から私たちに歩み寄り、私たちと個人的な関係を持ってくださります。自分の必要や悩みを主に語ることができる、そして助けや支えを得ることができるのは私たちの素晴らしい特権です。主は、この世界をお創りになって、はい終わり、と放っておくのではなく、今も私たちの近くにおられ、関心を持ってくださっています。
イエスが良い牧者である二つ目の理由は、羊たちのために、いのちさえも捨てるからです。ヨハネ10章12節です。「牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。」雇い人は自分のことをしか考えませんが、良い牧者は違います。
ここまでで、羊が生きて行くには、羊飼いが必要だということがわかりましたね。羊飼いが羊を守り、養い、導くのと同じように、主は私たちのことを守り、養い、導いてくださっているのです。
羊飼いはムチと杖を持ちます。ムチは野生動物や盗賊と戦うために、杖は羊に道を教え、導くためです。主は同じようにムチと杖を持っておられます。主は私たちを敵から守り、悪から、悪の誘惑からも救ってくださるのです。
詩篇23篇。1節の後半です。「主は私の羊飼い。 」主というのは単なる言葉ではなく、原語はヤーウェー、主が明らかにした聖なる御名です。この御名は神の素晴らしい御技やご性質を表します。主は全知全能なるお方。創造主。主は忠実で哀れみ深く、恵みと愛を豊富に注ぐ神であります。そして決して約束を破りません。
4節「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。」羊飼いは羊を放牧するために、羊を移動します。それがどれほど険しい道のりでも、どのような悪天候の中でも、他の動物や、盗賊に襲われたとしても、羊飼いは羊を見放したりはしません。どんな時でも安全な道に導き、守ります。時には危険な道を歩まなければいけない時もあります。そんな時、羊飼いは羊と一緒に危険な道を歩むのです。