デボーション:「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか?」
デボーション:「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか?」
聖書箇所:ヨハネ13章1節〜17節
本日は聖週間の木曜日であり、伝統的に洗足木曜日と呼ばれています。この日はイエスと最後の晩餐を記念します。
ご年配の方、権威のある方、地位が高い方に対して、謙遜な態度を表すことはあまり難しくありません。私たちは小さい頃から上下関係を守るように、上に立つ人には敬意を表すよう教えられてきました。しかしながら、後輩や、下に立つ人に敬意を表すことは普通は多くありません。
私は大学生の頃、大学のサッカーチームに入っていました。シーズンの一番最後の試合の後、先輩であるチームキャプテン、チームの最高得点選手、チームの中で一番重要選手がチーム全員の足を洗いました。今でも印象深い出来事です。私は心の中で「本来なら、私がキャプテンの足を洗うべきなのに」「私たちが彼の足をマッサージをするべきなのに」と思っているうちに、彼は私の足を丁寧に洗って、拭いてくれました。
同じように、イエスは弟子たちの足を洗った時、謙遜な態度を表されました。上に立つ先生であったイエスは、下にいる弟子たちの足を洗いました。弟子であったペテロは、なぜイエスが自分の足を洗ってるのか、最初は理解することができませんでした。ペテロも「私があなたの足を洗うべきなのに」と思ったでしょう。
“イエスの愛は、自分を低くして、人を立て上げます。”
しかし、イエスは弟子たちに大切なレッスンを教えたかったのです。イエスは語られました。「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」(ヨハネ13章14節)イエスは弟子たちに、行動を通して模範を表したのです。
イエスは自分の羊のために命を与える、牧者であります。その同じ愛を互いに表しなさいと、イエスは弟子たちに教えられています。
神であった、御子であるイエスは世に来られ、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 人間と同じようになられました。 人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、 それも十字架の死にまで従われました。十字架の上での死は屈辱的な死に方です。私たちがもし死に方を選べるなら、十字架の死を選ぶでしょうか?それでも、イエスは私たちのことを愛されているから、このような死を自ら受けられました。
私たちもイエスの弟子として、同じような謙遜な愛を隣人に表すことができるように、心から祈りましょう。イエスと同じように、自分を低くして、人を立て上げることができるように、心を神に委ねましょう。